海外でポスドクをしよう—滞在編(10) 海外ポスドクの後の道

博士の日常

 明けましておめでとうございます。今年がみなさまにとって素晴らしい一年になりますようにお祈り申し上げます。

 新年は新たなスタートを切るタイミングですが、何かを始めることは何かが締めくくられることも意味しています。海外ポスドクシリーズも今回を持ってひと段落となります。長いようで短い間、大変お世話になりました。心より御礼を申し上げます。

 さて最終回では、海外ポスドク期間が終わりを迎える時、次に歩む道について話します。

 ポスドク期間は平均して3年くらい。始める時には果てしなく長く思える期間ですが、終わる時に振り返ると一瞬のようにしか思えません。

 最初の移動でバタバタした後には、環境に慣れたり、周りの人を覚えたり、研究費申請などのシステムについて知ったりするためにエネルギーの大半を取られていました。ようやくシステムもわかってきて、「さあやるぞ」と思った頃には、もうポスドク期間の終了カウントダウンを迎えていました。

ふっと顔を上げると、目の前にはまた無数の分かれ道が見えてきます。

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「次、どうする?」

どこからともなく、問いが聞こえてきます。

 留学や海外ポスドクの道を選んだ人にとっては、帰国という選択肢は人生のいろんな節目で浮上してきます。生まれた国で生活している人も、人生の節目で「このまま国内に残るか海外に移動するか」の選択に迷うこともありますが、迷う程度で言えば、帰国するか海外に残るかの比ではないでしょう。帰る、ということが持つ意味は、一度離れてみないとなかなか体感できないかもしれません。

 海外に残ることと、帰国することは、それぞれ良さと困難があります。それらを天秤にかけ、おのおのが自分の状況に合わせて選択するしかありません。

海外に残るメリット

 海外に残り、アカデミアの仕事を探すことには、以下の利点が挙げられます

 まずは、ポスドク期間で積み重ねた経験を最大限に活かすことができることでしょう。

 冒頭でも述べたように、これまでのポスドク期間では現地の文化や制度に慣れるためにエネルギーを注いていました。また、現地の同僚や研究者仲間とのネットワークをゼロから作り上げてきました。これらは言わば海外での研究生活のための地盤づくりとも言える努力です。しかし、地盤はその上に建物が建てられてからこそその価値を発揮できます。せっかく作り上げた地盤を捨て、また別の土地でゼロから努力するよりも、自分の努力の成果を活かせるように現地で仕事を探す方が、無駄が少ないと言えます。

 次に、自由な研究環境や仕事環境などを保ち続けることができることです。

 そもそもなぜ海外でポスドクすることを決めたかを考えると、多くの人にとっては、海外の学術研究がより自由で開かれた雰囲気で行われることは重要なポイントだったはずです。また、男女格差の観点や、外国人やLGBTQ+などといったさまざまな形のマイノリティが直面する状況などの観点からも、より平等で公平な価値観や社会環境を有する社会の方が魅力的に見えることも多いでしょう。

 また、ワーク・ライフバランスを重視した仕事環境が提供されていることも、現在の若手研究者の間で重視されています。

 昨今の日本の大学では教員の教育負担や学務・雑務の負担が大きすぎることが指摘されています。それぞれの国や研究機関の状況に違いはあるが、全体的にはよりバランスの取れる生活スタイルを選択でき、自分自身や家族のための時間を確保できる欧米諸国の仕事環境は魅力的です。

 結婚・出産などのライフイベントがアカデミアに与える影響の大きさについても、海外のポストの方が有利かもしれません。

 ポスドクは20代後半〜30代の間に経験することが多いですが、この時期は恋愛・結婚・出産などの重要なライフイベントのピーク時期とも言えます。特に出産や育児に関しては、日本では改善がなされつつも不足点が目立っています。職場や社会からの理解や、ライフイベントでキャリアを中断した場合に復帰しやすい程度を考えると、家庭を持つことのハードルは海外の方が俄然低いように思えます。

海外に残るデメリット

 一方、海外に残ることにはさまざまな困難が立ちはだかっています。

 最大の問題点は、言語と文化の問題でしょう。

 よく「生存」と「生活」は違う、という話がありますが、ある社会で生き延びられることと、その社会に完全に溶け込み、豊かな社会生活を送ることができることとは、大きなギャップが存在しています。英語圏に出向いた時には、アカデミックな議論をするのに十分な英語力を持っているとしても、日常生活の中での会話が自由にできるとは限りません。特に現地の文化を理解するには語学力以外の知識や常識を必要としますし、場合によっては価値観の違いにも直面することになります。現地で長く生活するには、その文化に十分に溶け込むことが必要になりますが、何年も現地に住んでからその困難に打ちのめされる人も少なくありません。

 また、親や祖父母をはじめ、本国に残る親族や友人との間の関係性をどのように保つかも問題です。

 現在ではインターネットを通してビデオ通話やメール・メッセージでコミュニケーションすることはとても便利になりました。しかし、それでも物理的な距離は大きな問題をもたらします。相手との間に生活環境や経験を共有できない時間が長くなると、互いの関係性を保つことは難しくなっていきます。また、自分の年齢が上がるにつれ、祖父母や両親の高齢化も徐々に現実味を帯びてきます。いざという時に、自分がそばに居られないことのもどかしさ、その可能性がもたらす不安感、これらは大きなプレッシャーになります。

 最後に、母国に対する帰属感は、思ったよりも強くなるものかもしれません。

慣れ親しんだ環境がもたらす安心感は理屈を超えるパワーを持ちます。海外経験者が集まる雑談では、海外での食生活の窮屈さや、米や味噌などの日本特有の食事に対する強い欲求に関する話題はとても盛り上がりやすいです。しかしそれは単純に食事の問題ではなく、自分の記憶や経験全般に対して、自分のそれまでの人生に対する追憶も含めた帰属感です。そのようなノスタルジーは、特に自分自身の年齢が上がると、より強くなりやすいです。何年も海外で定住した後に、ある日急に「わたしは本当にこの土地に骨を埋めるのだろうか」と考え始める人もたくさんいます。

帰国のメリット・デメリット

 一方、日本に戻ることにも利点や不利な点があります。上記に羅列した、海外に残る時の利点や不利な点の裏返しは、日本にとっての利点や不利な点になりますが、それ以外にもいくつかの点を挙げることができます。

 例えば、就職の難易度の違いがあります。

 海外での研究経験は、日本の大学での職探しにとって有利な条件になります。一方、海外で正規の大学教員になるためには、それなりの英語力などが求められますので、ハードルが低いとは言えません。そのため、海外でポスドクを経験した人にとって、日本に戻って就職することの難易度は相対的に低くなります。

 また、人生のパートナーの見つかりやすさが違うかもしれません。

 人それぞれとはいえ、共有の文化的バックグラウンドは互いの理解やコミュニケーションにとって大変重要ですので、人生のパートナーを選ぶ上でその点を重視する人は少なくありません。文化や慣習が全く異なる海外よりも、母国で生活している時の方が、そのような条件に見合う相手に出会えるチャンスが多くなります。もちろん、文化背景だけを共有しても良いパートナーになれる保証はありませんが、選択肢の多さだけで言えば、日本に戻るのも悪くない選択肢です。

 一度きりの人生、どこに正解があるかなど、誰にもわかりません。だからこそ、ポスドクの後の道を選択する時には、みなさんとても悩んだ上で意思決定をしています。ですが、少なくとも、自分がこれまで積み重ねた人生経験は確実に自分のためになっています。自分があゆんできた道に誇りを持ちながら、その時の自分にとって最も悔いのない選択肢をとることが一番良いのではないかと思います。

[文責:LY / 博士(文学)]

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