あのときの一言(10)「大事なことは自分の周りにしかない」

博士の日常
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挨拶

こんにちは、みっつです。工学部化学系の研究室で博士課程を修了したのちに、現在は国内のメーカーで働いています。

この連載では、これまで大学院生活や社会人として過ごす中で出会った、印象的だった言葉について振り返っています。言葉をかけてくださった方や自分の当時の状況、その時の気持ちなどを振り返りながら、その言葉が自分にとって重要だった理由や、今の自分にどう影響しているのかについて改めて考えてみています。

どのエピソードも他人からすると些細なものかもしれませんが、自分にとっては重要な出来事なものばかりです。この記事が、読者の皆さまが何かに気づいたり考えたりするきっかけになったら幸いです。

今回紹介する一言

今月振り返ってみようと思う言葉は「大事なことは自分の周りにしかない」というものです。これは研究指導をしてもらっていた准教授からかけていただいた言葉です。これまでの記事で題材にしたものはどれも大切なものですが、今回の一言は特別思い出すことが多いものであるように感じます。

あの時

学部の四年生の頃、研究室に配属されて数ヶ月経った頃の話です。与えられた研究テーマの内容や、その面白さについて全く理解できておらず、さらにラボ以外の生活でもトラブルが続いていて、いつも集中力の欠けた研究生活を送っていました。見かねた准教授が「ちょっと話そう」と誘ってくださった食事の席でかけてもらった言葉です。

連れて行ってもらったお店で、最近どんなことを考えて過ごしているのかと訊かれたので、「この研究室での生活、その先にある道が自分に合っているのかもわからない。もしかしたら何か他にやりたいことがあるのかもしれないと思っている。半年間くらい大学を休学してみようかなと考えている」という旨を伝えたことに対して、「自分にも学生だった頃があるし、そういう気持ちはわかる。バックパッカーのようにいろいろな場所を旅してまわったこともある。でも経験として、結局大事なものは自分の周りにしかないよ」と返してくれたものでした。

この話の流れのあと、どういう結論に至ってその場を切り上げてラボに戻ったのか覚えていないですが、この言葉と、その日、和食料理屋で食べた煮つけ定食のことはずっと忘れられていません。

ちなみに、その後すぐに自分の身の振り方を180度変えられたのかというと、そんなことはありませんでした。どちらかというとこの言葉は、聞こえはいい表現であるものの、どこか綺麗事のようにも聞こえていて、いまいちピンと来ていないところもありました。しかしその後、少しずつ研究室にも馴染んでいって面白みを感じていったり、プライベートの方でも助けてくれる友人がいたりする中で、「ひとまずこの生活を大事にしてみよう。あの時すべてを手放そうとしなくてよかった」と徐々に思えていきました。

その後も何度か生活にやモチベーションに波はあったものの、なんとか諦めずに博士課程修了まで研究生活を続けることができたのは、この時の言葉があったからにほかなりません。

今の解釈

准教授はこの食事について、はじめは多少喝を入れるつもりで誘ってくれたのだと思います。鬼気迫る表情で「飯いこっか」と言われたのを覚えています。

当時立ち上がって間もないグループで学生が来なくなるのは困るという思いもあったことから、実際に面と向かって話している中で伝え方を考えて選んでくれたのだと思います。「このままでは良くないことは自分でもわかっている」という思いの中で学生が提示した選択肢に対して、それを頭ごなしに否定するわけではなく、真正面から受け止めた上で、たとえ准教授という立場上「休学させるわけにはいかない」という主張をするしかなかったとしても、”個人”としての見解を伝えてくれた雰囲気だったのが、受け取りやすかった理由だと思います。

「そんなことは間違っているし意味がない。学生なんだからまず学校に来て、研究をしろ」と言われていたら、おそらく僕は数か月後には大学を辞めていたのではないかなと思います。あるいは人知れず就職活動をして、大学院には進学していなかったでしょう。この時の准教授は僕に対して適切な言葉を、適した方法で伝えてくれたなと感謝しています。

その後の意識と、この記事を読んだ方へのメッセージ

いま改めてこの話について思い返すと、「もしかすると、あのとき准教授の言葉に従わずに別の選択をしていたとしても、それはそれで楽しかったのかもしれないな」とも少し思います。自分のやりたいようにやってみた後で、その中から進む先を選んでもよかったのかもしれません。ただしその場合は、当時から今までの間で関わり合ってきた研究生活での恩師や知人は今身の回りにいない可能性が高いですし、なにより、その後またどこかで「なにか違う」と思ったときに別の場所を求めることを繰り返すようになっていたかもしれません。そういう意味では、自分の周囲にちゃんと目を向けて大切さを知るということを一度経験できたことはよかったことだと思います。

加えて、いま改めて振り返って思うこととして、なにか新しい環境に入りこむとか、自分にとって未踏のことに挑戦するにあたって、必ずしも今の自分を棄てた上でなくてもいいと思えることも、一つ挙げられます。学業、部活、研究や仕事など、いまある生活も大事にしながらでも、新しいことを始めるのは可能だと、自信をもって宣言できます。僕自身も今まさに、会社での仕事という本業を持っているうえで、仕事では実現できない、やってみたいことを社外のアクティビティとして挑戦している真っ最中です。

もちろん時間や体力は有限なので、多少自分に負荷がかかるのは間違いないですが、それまでの環境を一新して新しい世界に飛び込んだとしても、それはそれで厳しい挑戦になってしまうのではないかと思います。そして、そういうキツい時期を支えてくれるのが、自分の身の回りにいまある物や、いてくれる人であると、時折感じることができています。

上記のように考えているので、今僕が、当時の自分のような「環境を変えて新しい挑戦をしてみたい」というような相談を受けたとすると、「色々考えたうえでの決定なら、やってみるといいよ」と伝えると思います。ですが同時に、当時の准教授のように「でも大事なものは身の回りにもあるはずだから、それを今ここで手放すようなことはしないでほしいと思う」と伝えると思います。

もし、読者の方に似たような心境の人がいたら、少しの間でいいので「身の回り」について、考えを巡らせてみる時間をとってみてほしいと思います。それは、普段顔を出している場所にいる人たちや、定期的に連絡が来る友人かもしれません。オンライン上の知り合いかもしれませんし、はたまた家族や親戚でもいいでしょう。あるいは人ではなく、なんとなく続けている趣味や、好きなスポーツについて考えている時間であってもいいのかもしれません。自分が大切にしたいことが、身の回りにすでに一つでもあるのではないかと気が付けると、その後の選択や行動にもいい影響が出るので、ぜひ考えてみてほしいと思います。

終わりに

今回は「大事なことは自分の周りにしかない」という言葉について振り返ってみました。

実は今でもたまに「どこか遠く、新しい環境に飛んでいきたい」と思うことは度々あります。引っ越し、転職、海外移住など、いろんな可能性を考えることがあります。そういうタイミングで必ず頭の中で聴こえてくるのが、今回紹介した言葉です。決してこれは自分を縛り付けるような意味合いではなく、たとえ新しい環境を選んだとしても、今あるものも続けて大切にし続けたいという意識で考え続けているものです。

また「身の周りの大事なこと」という言葉を、少し別の角度でとらえると、「何か新しいことを始めるにあたって、全く0からスタートするよりは、今持っているリソースの転用ができるような始め方から入る」というような考え方に落とし込めるかもしれません。

僕自身の例だと、社会人になってから新しく3DCGの制作を趣味として始めましたが、CG制作の題材やカテゴリとして、それまで関わってきた科学を選ぶという方法をとることで、スキルの習得に専念でき、モチベーションを高く維持できています。これも一つの、自分の周りにあったことを大事にできた例なのかもしれないと思っています。

今回はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。この記事を読むことを通して何かを考えるきっかけを見つけたり、気づくことがあったりしたら幸いです。

<筆者について>

みっつ 。超分子化学や光化学に関わる研究で博士号取得後、国内メーカーに就職。研究活動、商品開発、新規サービス立ち上げなどに従事。本業とは別に SciKaleido という有志チームにて「科学×バーチャル×エンタメ」を軸に、研究や科学の世界を直感的に体験できるコンテンツを開発中。

筆者について: https://twitter.com/Mittsujp

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