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天地人 (1/2)

2015/06/17 掲載

こんにちは、十五です。今回は「天地人」をテーマに書かせていただきます。

以前、戦国時代の武将上杉景勝の重臣である直江兼続を主人公とした同名のNHK大河ドラマがありました。題名の「天地人」は、軍書「北越軍談」にある上杉謙信の言葉からとったそうですが(※1)、もとをたどれば謙信より1700年近く前の時代を生きた孟子の言葉にさかのぼります。



孟子(出典:Wikipedia)

天時不如地利 地利不如人和(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)(※2)

直訳すれば「天の時は地の利にかなわない、地の利は人の和にかなわない」ということです。そして天地人の力関係は、じゃんけんの「グー・チョキ・パー」やポケモンの「くさ・みず・ほのお」ような三すくみの関係にはなっていないので、理屈上は人の和が最強だということになります。

では孟子が言う天の時、地の利、人の和とは、どのようなものを意味しているのでしょうか。

(※1)「輝虎(謙信)公曰く。天の時、地の利に叶い、人の和とも整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対する者もなし(北越軍談 謙信公語類)」http://www.yonezawa-naoe.com/how_t_tenchijin.html(一般社団法人米沢観光物産協会のページより)

(※2)孟子曰:「天時不如地利,地利不如人和。三里之城,七里之郭,環而攻之而不勝;夫環而攻之,必有得天時者矣,然而不勝者,是天時不如地利也。城非不高也,池非不深也,兵革非不堅利也,米粟非不多也,委而去之,是地利不如人和也。故曰:域民不以封疆之界,固國不以山溪之險,威天下不以兵革之利。得道者多助,失道者寡助。寡助之至,親戚畔之;多助之至,天下順之。以天下之所順,攻親戚之所畔,故君子有不戰,戰必勝矣。」(維基文庫:孟子/公孫丑下より)

天の時

天の時とは「天が与えてくれた絶好の機会」のことです。難しく表現すると「僥倖」、軽く表現すると「ツイている」とでもいった状態でしょうか。人の力が及ばない大きな力が味方しているといった意味合いを含むので、たとえば戦場における天候の他、権力者の死がきっかけとなって発生した大規模な反乱など、「時流」とでも言うべき出来事がこれにあたると考えられます。


桶狭間の戦いの錦絵(出典:Wikipedia)

歴史を紐解いてみると、桶狭間の戦いにおける豪雨、第四次川中島の戦い(八幡原の戦い)における濃霧(※1)、赤壁の戦いにおける東南の風(※2)などが挙げられます。また、時流や大きな情勢の変化としては、劉邦(陳勝・呉広の乱)、劉秀(赤眉の乱)、朱元璋(紅巾の乱)、庶子王ウィリアム(ノルマン・コンクエスト)(※3)、ナポレオン(フランス革命)など、大きな混乱を収めたことで、従来の秩序の下では権力を持ちえなかったような人物が権力を持つというケースでは、まさしく天の時があると言っていいと思います。

(※1)八幡原の戦いが日本史上有数の激戦となるきっかけとなったのがこの濃霧です。両軍ともににらみ合いの状態が続いていましたが、武田方は山本勘助の「啄木鳥戦法」による挟撃を試み、上杉方は「鞭声粛粛」と表現されるような奇襲を行うことで戦局が大きく動きました。

(※2)赤壁の戦いは物語である「三国志演義」の名場面の一つですので、どこまでが史実でどこからが脚色なのか定かではありません。ただ、歴史書である陳寿の「三国志」にも火攻めの記載があることから、全く根拠がないというわけではないのかなと。逆風下で火攻めをすると自軍も危ないですから。

(※3)平たく言えば子供がいなかったエドワード懺悔王の死によって起こった後継者争いなのですが、その中心となったのがイングランド王を継承したハロルド2世、ハロルドの弟でノルウェー王ハーラル3世の支持を得たトスティ、ノルマンディー公ギヨーム2世(後の庶子王ウィリアム)の三人で、他にもハロルドが戦死した後に後継者に指名されつつも戴冠されなかったエドガー・アシリングがいるなど、かなり混沌とした情勢でした。この時に起こったスタンフォード・ブリッジの戦いやヘースティングズの戦い、主導権を握れなかったエドガーのその後の人生、ギヨームが掲げた開戦事由など、歴史好きな方の興味をそそりそうな話が溢れています。


地の利

地の利とは地勢の有利のことで、具体的には難攻不落の城や、大軍を展開させることができない隘路(狭い道)での防衛戦などが考えられます。

難攻不落の城の例として、西洋ではイスラム軍・オスマン帝国の包囲を何度も退けてきたコンスタンティノープル(ビザンツ帝国)、ザンギー朝、アイユーブ朝の攻撃を防ぎ続けたクラック・デ・シュヴァリエ(聖ヨハネ騎士団)、日本では10年にわたる石山合戦の中心となった石山本願寺や、その跡地に豊臣秀吉が建てた大阪城などが挙げられます。また隘路での戦いとしては、圧倒的な兵力を誇るクセルクセス1世のペルシャ軍をスパルタ王レオニダス1世が食い止めてみせたテルモピュライの戦い(※1)が有名です。


ジャック=ルイ・ダヴィッド「テルモピュライのレオニダス」
(出典:Wikipedia)

地の利があれば数の不利を補うことができます。城には一方的にこちらから攻撃できるような仕掛けを用意できますし、隘路では敵に囲まれるおそれがないことから正面に全ての力を集中させて一対一に持ちこんで戦うことができます。つまり地の利とは、環境を利用して個の力、組織の力を最大化することだと言うことができます。

(※1)ヘロドトスの「歴史」によれば、クセルクセス率いるペルシア軍は210万人、対するギリシア連合軍は5000人ほどで、そのうちレオニダスが率いたスパルタ兵は300人だったそうです。レオニダスの奮戦むなしくギリシア連合軍は敗北し、レオニダスは戦死するのですが、翌年のプラタイアの戦いではスパルタ軍の活躍によってペルシア軍を撃退することに成功します。レオニダスは何を考えて戦いに臨み、死んでいったのか。そして彼の生き様はスパルタ人の心に何を残したのか。レオニダスの英雄譚は地の利だけではなく、人の和を考える上でも重要な要素をたくさん含んでいるのではないかと思うのです。 (参考:テルモピュライ古戦場

人の和

「和」という言葉は、たとえば十七条憲法の「和を以って貴しと為す」がそうであるように「争わずに皆仲良くやっていく」という意味で解釈されることが多いのではないでしょうか。しかし孟子の言う「人の和」は多少意味が異なっていて「人心が一致し、団結して力を合わせられる状態」を意味していると考えられます(※1)。ここで一例として、孟子と同じような意味合いで「和」という表現を用いている言葉をご紹介します。

「先ず和して而る後に大事を造す」(呉子)(※2)

呉子は孫子と並ぶ有名な兵法書で、「武経七書」と呼ばれる中国の代表的な七つの兵法書の一つに数えられています。内容としては、兵法家の呉起が主君である魏の文侯の質問に答える形式を中心に、用兵や状況判断の方法などの様々な領域について記されています。

「先ず和して而る後に大事を造す」とは「国の大事である戦を行うには、はじめに人心の一致、団結をはかる必要がある」という意味の言葉です。そして、国や兵が団結していなければ戦を始めるべきではなく、団結ができていれば兵はどんな難局においても逃げ出すことを恥だと考えて死を恐れずに立ち向かうようになる、といったこともあわせて述べられています。

このように和を「人が団結して力を発揮する作用」であると解釈すると、人の和とは士気(戦いに向けた意気込み)に近いものであるということがわかります。戦は一人ではなく組織で行うものですから、相互の高い信頼に基づいた協力関係、共通の目標、集団への帰属意識などが相まって組織の力を最大化し、勝敗に大きく影響します(※3)。

孟子が人の和こそが最も強いと言う理由はここにあるのではないでしょうか。

(※1)私見ではありますが、十七条憲法には「以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。」とあることから、「自分の利益のために徒党を組むのではなく、皆の利益のために協力することを心がけなさい」と解釈できなくもないのではないかなと。私には「和」という言葉が、事なかれ主義、前例主義の親玉みたいに扱われるのはどうも解せないのでした。

(※2)吳子曰:「昔之圖國家者,必先教百姓而親萬民。有四不和:不和於國,不可以出軍;不和於軍,不可以出陳;不和於陳,不可以進戰;不和於戰,不可以決勝。是以有道之主,將用其民,必先和而造大事。不敢信其私謀,必告於祖廟,啟於元龜,參之天時,吉乃後舉。民知君之愛其命,惜其死,若此之至,而與之臨難,則士以進死為榮,退生為辱矣。」(維基文庫:吳子より)

(※3)和について直接言及されているわけではありませんが、上杉謙信のライバル武田信玄の言葉として、軍書「甲陽軍鑑」に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という一節が残ってています。信玄は父の信虎を追放して家督を継ぎ、滅ぼした諏訪氏の娘を側室とし(後に信玄の跡を継ぐことになる勝頼の母)、嫡男の義信を廃嫡して自害に追い込むなど、いかにも戦国乱世らしい生き方をしてきましたが、同時に後世に武田二十四将と呼ばれる優れた家臣団を組織した人物でもあります。甲陽軍鑑は江戸時代に書かれたものなので多分に創作も含まれているのでしょうが、混沌とした世の中で人をまとめあげて大きな力としたその手腕には、現代でも多く学ぶところがあると思います。


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