‐『博士人材追跡調査』第3次報告書の結果から‐
日本では、毎年約15000人ほどの大学院博士課程修了者がいます。博士課程では、大学の学部や修士課程の期間では学ぶことの難しい高い専門的スキルや思考力を身に着けることが求められます。また、国内外の学会での発表や論文の投稿などを通して、研究の知見を積極的に発信していくことも求められます。
しかしその一方で、博士課程に在籍する分だけ、新卒で働き始めるまでに年齢も重ねることになり、学部卒で働き始める人との間には最短でも約5年間の差があります。
一般的な企業ですと、5年間の間には後輩もでき、より責任のあるポジションを任されることもあります。
それでは、博士課程の経験は、実際のところ、社会に出て働く上でどういったことが役に立っているのでしょうか。
今回は、2012年度・2015年度に博士課程を修了した大学院生(以下、それぞれ2012年度コホート、2015年度コホート)を3年ごとに追跡調査を行っている科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の『博士人材追跡調査』第3次報告書の中から、博士課程に在籍したことで現在の仕事に役に立っていると感じることについて紹介いたします。
なお、博士人材追跡調査は2014年から行われており、博士課程修了者のキャリア意識やその後の研究状況、生活状況などを調査する目的で実施されているものです。第3次報告書は2019年に実施されたもので、2012年度コホートは修了後6.5年後、2015年度コホートは修了後3.5年後の調査となっております。
『博士人材追跡調査』第3次報告書によると、博士課程修了者が博士課程に在籍して得られたことで、現在の仕事などで役に立っていると感じることとしては、「論理性や批判的思考力」を最も高くあげられ、次いで「自ら課題を発見し設定する力」、「データ処理、活用能力」があげられています(図1)。また、この結果は博士課程修了から6.5年経過した2012年度コホートでも、修了から3.5年経過した2015年度コホートでも同様の傾向にあります。
これら3項目は、いずれも博士課程で各々が研究をしてきた専門分野に関わる知識や能力というよりも、それを支える土台としての「コア能力」や「基礎的な教養」にあたるものであると考えられます(図2)。
「コア能力」とは課題を設定する能力、課題解決能力、論理的思考力、アウトプット能力、調査能力評価能力、自己管理能力、粘り強さ、といった、研究活動に限らず、さまざまなことに応用のきく能力です。「基礎的な教養」とは、科学的なものの見方や考え方、論旨の組み立て、データの取り方といったものです。
さらに、『博士人材追跡調査』第3次報告書では、社会人経験がある博士課程修了者が博士課程に在籍して得られたことで雇用先等において役立つこととして、調査内の自由記述欄に報告されていたものがまとめられております。その内容を大学院生の能力ごとに分類したものが表1となります。
2012年コホート(博士修了後6.5年後)社会人経験あり | 2015年コホート(博士修了後3.5年後)社会人経験あり |
①大学院生のコア能力に関わると考えられるもの | |
・忍耐力・論文を書き上げる力 ・社外と共同することを前提とする実現可能性の高い提案ができる ・外国人との共同作業力・基盤となる能力 ・ネットワーク、研究者コミュニティへの参加 ・人脈 | ・説明する力・議論に強くなった ・研究指導力・体力、根性、忍耐力、精神力、ストレス耐性 ・ゼロから立ち上げる雇用先に取組み、形にすること ・自立心、責任感、使命感、プライド ・長文資料の作成能力、論理的文章を作成しまとめる能力、研究論文作成能力、著述、博士論文の作成 ・International collaborative research working skill ・一貫性 ・人脈 |
②基礎的な教養に関わると考えられるもの | |
・学術論文の書き方 | ・学問的知識、専門的知識 ・語学力 |
③専門分野に関わると考えられるもの | |
・専門職としてのスキル ・専門知識 | ・Sensor maintenance |
④自身の研究テーマに関わると考えられるもの | |
(言及なし) | (言及なし) |
その他 | |
・学位、学位、資格、はく、タイトル取得・社会的信用、業界における信頼感 ・雇用先で外国人と接するときに、博士号と持っていることで一目置かれる、海外取引における博士号の重要性、海外でのPh.D の価値 ・昇進の条件 | ・第3者からの信頼性 ・共同研究を行う企業の紹介 ・商談時に博士号が相手にポジティブな印象を与える ・所属していた研究科の担当教官に相談できる ・留学生の進路 ・学習 ・生活等キャリア指導 |
社会人経験のある博士課程修了者の自由記述報告においても、2012年コホート、2015年コホートともに、実際に働いている中で役に立っていると感じるものとして、「大学院生のコア能力」に関わるものが多く挙げられていることがわかります。また、「コア能力」の中でも、図1にあるような「論理性や批判的思考力」、「自ら課題を発見し設定する力」、「データ処理、活用能力」だけでなく、「忍耐力」や「体力」といったものも役に立っていることとして挙げられています。研究や博士論文の執筆はかなりの長期スパンでの活動となるため、肉体的にも精神的にもかなり苦しい闘いではありますが、その経験が博士課程修了後の生活の中でも生き抜く力の土台となっているのかもしれません。
さらに、この自由記述報告の中で挙げられている中で興味深い点としては、学位を取得したことによって得られる第三者からの信頼性というものが多く挙げられております(表1「その他」)。特に、修了後6.5年が経過している2012年コホートでは、海外での博士号の評価についても挙げられております。また、所属している雇用先によっては昇進の条件として博士号が関係しているところもあるようです。
以上より、博士課程修了後の大学院生の追跡調査を行っている『博士人材追跡調査』第3次報告書から、博士課程で学んだ以下のスキルや経験が役立っているようです。
・「論理性や批判的思考力」
・「自ら課題を発見し設定する力」
・「データ処理、活用能力」
これらの能力はいずれも文系・理系といった学問領域に関わらず身に着けることができる大学院生のコア能力・基礎的な教養力であり、いわば「高度な汎用的能力」であると言えます。
博士課程を修了するまでの道のりはとても長く大変なことではありますが、博士課程の中で作り上げた人脈や、博士号を取ることで得られる相手からの信頼といったものは博士課程修了後に活かせるようです。また、博士課程の中で鍛えられる体力、根性、精神力といったことも、大学院生生活を終えて働き出してからも役立つものと言えるでしょう。
これから就職活動を始める大学院生は、自分の研究テーマと関連づいた専門分野にこだわらず、より広いコアスキルをアピールしていくとよいのかもしれません。
■参考文献■
科学技術・学術政策研究所第1 調査研究グループ (2020)『博士人材追跡調査』第3次報告書. NISTEP REPORT 188. 科学技術・学術政策研究所. https://doi.org/10.15108/nr188