【産業技術総合研究所 奥田徹哉氏】他分野技術との融合により加速する生化学基礎研究

インタビュー

「AJ出張版」は、株式会社アカリクが発行する「大学院生・研究者のためのキャリアマガジン Acaric Journal」の過去の掲載記事や、WEB限定の新鮮な記事をお送りするカテゴリです。今回はvol.2の掲載記事をお届けします。

今回、長らく技術的な課題として解決されていなかった効率的なIgM精製を可能とした奥田氏は、元々研究者を目指していたわけではなく、理科教員として地元で働くことを目指していました。時代の風の吹き回しで思いがけなく研究者になった奥田氏が素晴らしい成果を得ることになった要因は、コツコツと基礎研究に邁進する根気強さと、積極的に共同研究を持ちかける積極性にあるのかもしれません。

― どのような研究をされていますか

 医学分野の中でも、生化学という分野で研究を行っています。研究対象は「糖鎖」と呼ばれる分子で、これはグルコースなどの「糖」が「鎖」のように繋がったものです。さらにこの糖鎖がタンパク質や脂質と結合すると、糖鎖タンパク質・糖脂質と呼ばれます。この糖脂質と呼ばれる物質を中心に、その性質について研究を進めています。その過程で、糖脂質が抗体を強く誘導する性質を持つことを明らかにしました。この免疫の仕組みを応用して、糖鎖を認識する特殊な抗体の開発を進めています。

 この研究が関連する産業には、医薬品産業があります。人体には病気のマーカーとなるような特徴的な構造の糖鎖が多く存在します。特にがん細胞は非常に特殊な糖鎖を持っているため、それを検出できれば検査薬に応用できます。微生物やウイルスが細胞に感染すると、細胞の表面にある糖鎖を受容体として使うので、感染症の治療においても応用できます。

 一般的に抗体はタンパク質を認識するために使われますが、今回の共同研究ではIgMと呼ばれる糖鎖を認識する抗体を精製するための技術を開発しました。IgMは、一般的には成熟していない抗体と考えられていますが、糖鎖を認識する抗体では非常に高精度なIgMが得られます。ただし、IgMは産業応用上の課題として、効率的に精製する手段がこれまでありませんでした。しかしながら、日本特殊陶業株式会社(以下、日本特殊陶業)が持つ特殊なセラミックスを利用して精製できることがわかりました。

 日本特殊陶業は自動車のエンジンの発火プラグなどに使う特殊なセラミックスなどの開発を主力とされていますが、セラミックスを他の産業市場に応用できないかと模索していらっしゃり、その一つとして抗体精製用セラミックスの開発を試みられています。私が産業技術総合研究所(以下、産総研)の技術紹介イベントでそのことを知り、同研究を行うに至りました。

― どのような学生時代を経て、研究者になられたのですか

 元々は理科の教員になりたいと考えており、愛知教育大学に進学しました。そのときは研究者になろうと思っていませんでしたが、当時は就職氷河期で、教員を志望する人が大きく増加した時期でした。教育大学には、教員数の調整弁としての役割もあるため、早い時期から教員以外の就職を大学側から勧められておりました。そこで就職活動をして、東京都の大卒職員に内定が決まりました。早々に就職先が決まったので、卒業研究は気楽に楽しめる環境にあり、時間もあったので、深夜まで熱心に研究していました。すると偶然ですが、糖鎖を合成するための重要な遺伝子の1つを発見してしまいました。その成果を当時の指導教授が高く評価して下さり、大学院進学を強く勧められたので、研究者を志すようになりました。

 その後、糖鎖は人の病気と密接に関わることを知り、病気に関係する糖鎖の研究をやりたいと思うようになりました。当時その分野でトップクラスだった名古屋大学の医学部生物化学講座でそのような研究ができることを知り、博士課程からその研究室に移りました。その研究室では、糖鎖を作る遺伝子を壊したマウス(ノックアウトマウス)を使って、直接的に哺乳動物の病気に関係する糖鎖について研究をしました。当時この分野の研究は、まずノックアウトマウスを作るところから始めるので、時間も手間もかかりました。コツコツと研究を続けて、最終的にある感染症にかかわる糖脂質の機能について発見して、博士号を得ることができました。博士課程を修了する半年前に、産総研で糖脂質の研究室が研究者を募集しており、応募したら採用されました。それがテニュアトラックの任期付研究員で、まずは四国の地域センターに配属され、研究者としての道を歩み始めました。

― なぜ理科の教員になろうと思ったのですか

 実家が広島県の田舎でして、ゆくゆくはそちらに帰って仕事をしようと考えていました。教師は地域に貢献できる魅力的な仕事だと思います。今は研究者として働いていますが、ビッグジャーナルを狙うというよりも、実用化を進めて地域の企業と共に何かやりたいという思いが強いです。産総研の研究員は、共同研究など様々なかたちで地域の企業に貢献できますので、どちらでも良かったと思っています。

― 生化学分野はどのような方向に進んでゆくのか、お考えをお聞かせください

 生化学分野は非常に歴史が長く伝統的な分野です。そのため、主だった研究がほとんどなされており、生化学単独の研究で良い成果を得るのは難しくなっています。一方で、今回のケースのように、基礎研究・応用研究共に、他分野と融合研究をすることで新規性のある面白い研究成果が得られると思います。

 私の研究テーマである糖脂質と糖鎖も、「生化学の王道」であり、昔から研究されていますが、遺伝子やタンパク質と比べて非常に扱いが難しい対象であるため、なかなか前に進んでいません。遺伝子やタンパク質が注目を浴びておりどんどん研究が進んでいる反面、糖鎖研究は停滞しており、学会でも問題になっています。流行りの分野は成果が出やすく、お金も人も集まりますので、糖鎖分野は少数派となってしまいました。しかし、他分野と融合することで、糖鎖を扱う技術が大きく進歩することが期待できるようになりました。このような融合研究によって、糖鎖が関係する病気に対する治療・診断技術が革新し、関連産業で新しく発展できると考えています。

― この分野で博士課程に進まれた方々はその後どのようなキャリアを進まれるのでしょうか

 大学教員や研究所の研究員を目指す人や、医薬・食品・材料系企業の研究員に就職する人が多いようです。私が学生の頃に比べると学生の数も減少しており、大学院進学率も非常に落ちているため、産総研も企業も、研究職の人材確保に苦労していると聞いています。産総研では、主に博士号を取得した方を募集しておりますが、博士課程進学者自体が少ないので、産総研に来てくれる方はさらに少なくなります。人材確保のために海外からの積極的なリクルートを検討したこともあります。産総研は、やる気のある研究職志望の学生さんを募集していますので是非志望してください。

― 産総研のアピールポイントや、働く上でのメリットはありますか

 産総研の研究職は、年間の7~8割の時間を自分の研究に費やすことができる点がメリットです。ただ、学生さんがいないので、大学の先生からは「雰囲気が落ち着きすぎている、若者がいた方が活気があっていい」と言われます。

 実は産総研には様々な仕事の形があります。研究だけではなく、研究ユニットの管理や、研究所の運営・企画、また上位組織である経産省に出向して情報交換するなどの仕事があります。他にも、「パテントオフィサー」という知財出願・管理の専門職や、「イノベーションコーディネーター」という専門的な研究内容を企業の方へ橋渡しする職種があります。これらの仕事はまさに産総研独自だと思います。研究にはいろいろな形があると思うのですが、「実験をする」だけではなく多様な選択肢がある点は他とは異なります。

 これらの職種は、その職種に応募して採用されるものではなく、まずは皆研究職として採用されます。その後、10年程度研究職をやってみて、ある程度区切りがついた時点でキャリアチェンジの機会があります。これは「運営側に行きたい」「知財の専門家になりたい」など、研究職以外の職種を選択できる分岐点のようなものです。もちろん研究を続けたい場合は続けられますが、キャリアチェンジの機会が40歳頃に提供されます。

 私自身も2015年に産総研のライフサイエンス分野にあたる生命工学領域の企画室で一年間勤務しました。そちらでは、個別の研究よりも、生命工学の研究方針を決めたり、どのような方向性で発展させていくか、予算はどうつけるか、などの運営側の仕事を経験しました。このように、全く異なる職種を経験することで新しいマインドが入り、研究職に戻ったときにそれを活かして自分の研究の方向性を変えたり、調整することができます。この運営側への人事異動はほとんどの方が経験されますし、そのままその仕事をずっと続ける方もいらっしゃいます。

― 大学院生・研究者へメッセージをお願いします

 学生の時に進路についてはことあるごとに悩んでいて、なぜか今の形になっているのですが、学生時代は非常に悩むと思います。やはり「人生は一度きり」ですので、やりたいことをやるのを優先してください。その代わり、目標を決めたら諦めずに取り組む努力も必要です。すごく高いハードルでなくていいので、自分で納得できるまででいいからやりきることが、成功も失敗も、自分の将来や人生にポジティブな影響を与えると思います。

― 産総研や奥田様個人で、アウトリーチ活動はなさっていますか

 「産総研一般公開」というイベントがあります。そちらでは、研究成果を一般の方にわかりやすくブースで発表したり、高校生向けの研究発表会を開催しています。そこで高校生の発表内容についてコメントしたり、研究の進めかたにアドバイスをするお手伝いをしたことはあります。最近の高校生はとても高度な研究をしていて、びっくりしました。自分でも、教育学部を出たという経歴のせいか、教育について特別な思い入れがあるように思います。

プロフィール(インタビュー当時)

奥田 徹哉 氏

国立研究開発法人産業技術総合研究所生物プロセス研究部門主任研究員。1976年広島県生まれ。2006年名古屋大学大学院医学系研究科生物化学講座博士課程修了。博士(医学)。2006年産業技術総合研究所四国センター研究員、2010年産業技術総合研究所北海道センター主任研究員を経て2016年より現職。専門は医工学、生化学、糖鎖生物学。

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