バイオインフォマティクスは、日本語で「生物情報学」と訳される学問分野です。
端的には生命現象を情報学の観点から解き明かす学問ですが、専門にして学んでいる学生であっても、バイオインフォマティクスを明確に説明できる方は、実はそれほど多くありません。
また、将来どう生かせるのか不安を抱える学生は少なくありません。
本記事ではバイオインフォマティクスの概念を紹介しながら、市場の将来性や役立て方について詳しく解説します。
本格的にバイオインフォマティクスを勉強したい学生の方や、大学や大学院を卒業後にどのような職業に就けるのかを知りたい方、バイオインフォマティクス領域の今後の将来性について知りたい方はぜひ参考にしてみてください。
そもそもバイオインフォマティクスとは?
理系の世界ではよく耳にするようになった「バイオインフォマティクス」ですが、この意味や学問領域を正確に理解している人は少ないはずです。
ここではバイオインフォマティクスが発展した背景を説明しながら、具体的な応用の仕方についても解説します。
バイオインフォマティクスは最先端の学問領域
バイオインフォマティクスは、日本語では「生物情報学」と訳される学問であり、「生物が持つ膨大な情報をコンピューターで解析・活用する学問分野」です。
一言でいえば、生命現象を「情報」として捉えて、数理的・計算的に解き明かす分野といえます。この分野が現代社会において急速に拡大した背景として、生物学と情報科学の両分野の飛躍的な進化があります。
まず生物学では、バイオテクノロジーの進化によって1980年代後半から「ヒトゲノム計画(Human Genome Project)」が始動しました。これにより生物の遺伝情報(ゲノム)が解析され、2003年にはヒトゲノムの全塩基配列の解読が完了するという快挙を成し遂げました。生物が持つ設計図ともいえる情報が明らかとなったのです。
一方で、情報学においても、1990年代以降にインターネットやコンピューター技術が急速に発展し、ビッグデータやAIといった技術が登場し、大量のデータを高速かつ高精度に処理できるようになりました。インターネットや携帯電話の急速な普及によって、私たちの生活様式が大きく変化したことからも、技術の進化のスピードを実感できるでしょう。
この2つの分野の融合によって誕生したのが、「バイオインフォマティクス」です。
たとえば、DNA配列やタンパク質構造、細胞内の分子ネットワークといった複雑な生命現象を数値化・モデル化し、シミュレーションや予測に活用するといった研究が行われています。
バイオインフォマティクスは、未だ謎の多い生命現象を明らかにできる可能性が高いことから、今後の生命科学の未来を切り開く新しい学問領域として大いに注目されています。
バイオインフォマティクスの研究領域とは?
それでは、最先端の技術として注目を浴びるバイオインフォマティクスはどのような研究領域に恩恵をもたらすのでしょうか。
ここでは「ゲノム解析」「生体内におけるネットワーク解析」「タンパク質の構造解析」という3つの研究領域について詳しく紹介します。
ゲノム解析
ヒトを含む多くの生物のゲノムはすでに解読されており、現在ではさまざまなデータベースで閲覧できます。
このゲノムを使用し、異なる生物同士の情報を比較することで、進化の過程を予測できるようになりました。
たとえば、遺伝子的にヒトに最も類似している生物を探すと、それはチンパンジーであり約2%の遺伝子の違いがあることが明らかになっています。
このように、類似している動物同士を探すことで生物の進化系統樹を予想できるようになったのです。
参考:National Center for Biotechnology Information「Genome」
生体内におけるネットワーク解析
生命現象は、生体内外の多くの分子が相互作用することにより成り立っており、これまでの生物学では遺伝子やタンパク質など、生体内に存在している個々の部品については調査されてきました。
しかしながら、生命をシステムとして丸ごと理解するためにはこれらの部品の相互作用まで明らかにする必要があります。
たとえば、多くのタンパク質は、複合体として働くため、単体で存在する情報だけでは機能の全体像を把握することはできません。
そのため、タンパク質同士の相互作用を解析することで、それぞれのタンパク質が果たしている機能を推定する研究が進められています。
タンパク質の構造解析
タンパク質はアミノ酸が多数集まって構成される化合物であり、アミノ酸配列の違いにより異なる機能を発揮できます。
その構造をコンピューターによって予測することは大きな課題として捉えられているため、研究成果をまとめたものを閲覧できるサイトも存在しています。
参考:「タンパク3000構造ギャラリー」
バイオインフォマティクスは人類にどう役立つ?
ここまでは、多岐にわたるバイオインフォマティクスの研究領域について紹介してきました。
バイオインフォマティクスは、私たちの生活や社会にどのような恩恵をもたらしてくれるのでしょうか。ここからは、具体的な例を挙げて詳しくみていきましょう。
創薬領域の発展
バイオインフォマティクスの発展により最も恩恵を得られるものが創薬の分野です。
これまで新薬開発の成功率は約3万分の1ともいわれており、莫大な時間とコストをかけて行われてきました。
その原因は、新薬開発がこれまでほとんど偶然の発見により行われてきたためです。
有名な例だと、現在勃起不全の治療薬として使われ、肺高血圧症の薬ともなっている「バイアグラ」は元々は狭心症という心臓の病気の治療を目指して作られていました。
このように手当たり次第に薬を作ってみた結果、「偶然の産物」として新薬が発見されたケースも少なくありません。
この流れを打破し、論理的かつ科学的な根拠に基づいた創薬を可能にするのが「バイオインフォマティクス」です。
大量のデータとそれらを処理する情報技術により、薬の人間への安全性や体内動態を予測できるため、開発の途中で失敗するというケースが少なくなりました。その結果、創薬の成功率が高まり、これまでよりも効率的に新薬を開発できるようになったのです。
参考:大日本住友製薬「薬ができるまでの、長い道のり Vol.1」
農業における新製品の開発
今後期待されているのが、作物や果樹のバイオインフォマティクス研究による農業領域への応用です。
この研究が進めば、品種改良の技術がさらに発展し、より美味しく、外部環境に強い農作物の開発が可能になります。
これにより、将来的には食糧危機の緩和や安定的な食料供給への貢献が期待されます。
バイオインフォマティクスの将来性
現在、バイオインフォマティクス分野は急速に注目を集めており、人類へもたらす影響にも大きな期待が寄せられていることがわかりました。
では、この学問領域にはどのような将来性があるのでしょうか。また、バイオインフォマティクスを学んだ人々は、社会のなかでどのように活躍していけるのでしょうか。
ここからは、「市場の成長性」と「人材の活躍フィールド」の2つの観点から、バイオインフォマティクスの未来について考えてみましょう。
バイオインフォマティクスは脅威の成長市場
バイオインフォマティクス市場の2020年から2027年までの1年平均成長率(compound average growth rate:CAGR)は13.4%であり、近い将来大幅な成長が見込まれています。
創薬の発展が人々にもたらす恩恵は大きいものと考えられますが、その影響が数値でも予想されており、バイオインフォマティクス市場の更なる成長は確実なものといえるでしょう。
参考:Report Ocean「バイオインフォマティクス市場は、2027年まで13.4%のCAGRで目覚ましい成長が見込まれています」
バイオインフォマティクス領域は人材不足って本当?
結論からお伝えすると、バイオインフォマティクス領域における人材は慢性的に不足しており、今後市場も拡大していくことから人材不足は更に深刻になっていくと予想されています。
そもそも、バイオインフォマティクスという学問領域が本格的に確立されたのは2000年代に入ってからのことです。たとえば、東京大学では2003年に情報生命科学専攻が設立されています。そのため、専門人材がまだ十分に育っていないのは当然のことといえるでしょう。
さらにこの分野では、専門人材の育成が難しいという課題もあります。バイオインフォマティクス人材には、ウェット(実験)とドライ(情報解析)の両方に精通していることが求められるため、どちらかの知識や経験が豊富であっても、対応できないケースも少なくありません。
なお、「ウェット」と「ドライ」という言葉に聞き馴染みのない方は以下の記事をご覧ください。
人材不足がさらに深刻化すると予想されることから、将来に不安を感じる学生も今からバイオインフォマティクスの知識やスキルを身につけておくことは就職においても大きなアドバンテージとなるでしょう。
バイオインフォマティクス分野の主な就職先
バイオインフォマティクスはさまざまな産業分野での応用が進んでおり、それにともない就職先も多様化しています。
バイオインフォマティクス分野に精通する方の主な進路となり得る5つの業界は、次のとおりです。
- 製薬会社
- バイオテック企業
- IT企業
- 食品企業
- 公的研究機関・大学・医療機関
それぞれの業界について詳しくみていきましょう。
製薬会社
「製薬会社」は、バイオインフォマティクス人材の代表的な就職先の一つです。
新薬のターゲット探索や臨床試験データの解析など、多岐にわたる業務において必要とされています。特に近年では、創薬の成功率向上を目的としたAI創薬や個別化医療が進展しており、膨大なゲノムデータや化合物情報を効率的に処理・活用できるスキルが求められています。
武田薬品工業株式会社、第一三共株式会社、中外製薬株式会社などの国内の大手製薬企業に加え、グローバルに展開する外資系企業への就職なども選択肢の一つです。
バイオテック企業
バイオインフォマティクス人材は、最先端の研究開発を行うバイオテック企業やバイオベンチャー企業においても活躍の場があります。これらの企業では、AI創薬やゲノム編集、再生医療、合成生物学などの分野で、研究からデータ解析まで幅広い業務を担うのが特徴です。
少人数でのプロジェクトを担当するケースが多く、裁量の大きさやスピード感のある環境を魅力と感じる人にとっては最適な職場といえるでしょう。また、大学や公的機関との共同研究に携われることも多く、専門性を深めながら多様なスキルを磨けるのも大きな魅力です。
代表的な企業としては、Spiber株式会社、ペプチドリーム株式会社、株式会社ユーグレナ、サンバイオ株式会社などが挙げられます。
IT企業
近年、バイオインフォマティクス人材の活躍の場はIT業界にも広がっています。これは、医療やライフサイエンス分野のビッグデータを扱うプロジェクトが増加し、AIによる創薬支援、診断アルゴリズムの開発、ゲノム情報の解析などに取り組むIT企業が増えているためです。
特に、プログラミングスキルを持ち、生命科学の知識とデータ解析力を兼ね備えた人材は重宝される傾向にあります。実際に、ソニーグループ、富士通株式会社、そして株式会社NTTデータなどの大手企業が、医療・ゲノムデータの活用に取り組んでおり、バイオインフォマティシャンの採用ニーズも高まっています。
バイオとITの両分野を横断するキャリアを描きたい人にとって、今後さらに注目される進路のひとつといえるでしょう。
食品企業
食品業界においても、バイオインフォマティクス人材の活用が広がりつつあります。特に注目されているのが、腸内細菌の解析(マイクロバイオーム)や機能性成分の評価といった研究開発の分野です。健康効果が科学的に裏づけられた食品やサプリメントの開発につながり、一人ひとりの体質や健康状態に合わせた「パーソナライズドニュートリション」の実現にも貢献しています。
また、ゲノム情報に基づいた作物や菌株の改良、食品の安全性評価などに携わるケースもあります。研究職としての配属だけでなく、品質管理や製品企画、データ解析部門での活躍の場も期待されているのです。
味の素株式会社、キユーピー株式会社、株式会社明治、雪印メグミルク株式会社など、ヘルスケアと食品の融合を推進する企業などでは、ライフサイエンスとデータ解析に強い人材の需要が高まっています。
公的研究機関・大学・医療機関
公的研究機関や大学、医療機関においても、多くのバイオインフォマティクス人材が活躍しています。
理化学研究所や産業技術総合研究所などの国立研究機関では、基礎生物学から創薬支援、環境ゲノムまで幅広い分野で情報解析の専門性が求められています。
大学や大学院では、研究室スタッフとして次世代シーケンサーのデータ解析や新規アルゴリズムの開発に携わる機会もあり、研究者としてのキャリア形成が可能です。また、国立がん研究センターなどの医療機関では、がんゲノム医療や臨床検体の遺伝子解析に関する業務が進められており、医療現場と研究機関をつなぐ、重要な役割を担うことが期待されています。
基礎から臨床応用まで、学術的な知見を深めたい人にとっては魅力的な就職先といえるでしょう。
バイオインフォマティクス人材として活躍するために必要な知識
バイオインフォマティクスは、「生物」と「情報」の両方の専門性が求められる分野です。
ここでは、バイオインフォマティクス人材(以後、バイオインフォマティシャン)として活躍するために最低限おさえておきたい3つの知識分野を詳しくみていきましょう。
生物学の基礎知識
バイオインフォマティシャンとして活躍するために欠かせないのが、「分子生物学」「遺伝学」「細胞生物学」といった基礎生物学にまつわる知識です。
バイオインフォマティクスでは、ゲノム解析や発現データの解釈などを扱う場面が多く、生物学的な前提知識がないと正しい分析や考察ができません。特に、データの背景にある生命現象を読み取る力が専門性として強く求められます。
具体的には、DNAやRNA、タンパク質といった生命を構成する要素や、遺伝子の転写・翻訳の仕組み、細胞内でのシグナル伝達などについての知識を習得しておくことが大切です。
コンピューターサイエンスとプログラミング
バイオインフォマティクスの分野では、大量の生命科学データを処理・解析するためのプログラミングスキルが欠かせません。
特にRubyやPythonは、多くの研究現場で標準的に使用されているプログラミング言語であり、データの整形・統計解析・可視化まで幅広く対応できます。
また、Linux環境でのコマンド操作や、バイオ系特有のデータ形式(FASTQ、GTF、VCFなど)への理解も重要です。NGS(次世代シーケンサー)データの前処理や解析パイプラインの構築には、シェルスクリプトやバッチ処理の知識も欠かせません。
さらに、クラウドサービスやGitHubのような開発プラットフォームを使いこなせると、チームでの共同作業やプロジェクト管理にもスムーズに対応できます。ITスキル全般への理解は、実務をこなすうえでも大きな強みとなるでしょう。
統計学とデータ解析
バイオインフォマティクスの分野では、実験結果やゲノム情報を客観的に評価するために、統計学についての知識が必要です。一般的に、生物由来のデータはばらつきやノイズが多いため、正確に判断するためには、適切な統計解析の知識や技術が欠かせません。
また、最近では機械学習の技術もバイオデータ解析に応用されているため、線形回帰分析やランダムフォレストのようなモデルを活用する機会も増えています。
日々進化するテクノロジーにキャッチアップし続けることは、バイオインフォマティシャンとして不可欠な姿勢といえるでしょう。
まとめ
本記事ではバイオインフォマティクスについて以下の内容を中心に紹介しました。
・バイオインフォマティクスは最先端の学問領域であること
・創薬分野をはじめ、さまざまな領域への応用が期待できること
・市場拡大は必須であり、今後更なる人材不足が予想できること
バイオインフォマティクスを学ぶことは将来の可能性を大きく広げる選択肢の1つです。バイオインフォマティクスに興味を持った方は、ぜひこの機会に学び始めてみましょう。






