- 特に企業では、研究を具体的な商品開発やサービスへと繋げる必要があると思うのですが、この研究の場合は、どのように展開するのでしょうか
本研究であれば、APJというタンパク質が、皮膚の弾力に応じて血管の安定化を制御しているレギュレータであることが分かりましたので、このシステムを活性化するような素材のスクリーニングを実施し、化粧品などの成分として開発することが挙げられます。そして、皮膚の弾力を保つ技術として、有効性を試験して担保していくことを進めています。
ー 今後もずっと毛細血管の研究を進められるのでしょうか。ほかにやってみたいテーマはありますか
毛細血管が皮膚にとって重要であることが証明されてきていますので、研究を継続し、皮膚の血管研究の世界を更に広げたいと思っています。血管は身体全体と繋がっているものですので、例えば末梢の皮膚から毛細血管を通じて、全身の健康にアプローチできるかもしれません。
また、皮膚全体の解析をし、その中の一つの血管という位置付けで、機能を見ていきたいとも考えています。最近は網羅解析技術、バイオインフォマティクスや遺伝子解析技術などが進化してきています。これらの技術により、皮膚を構成する全ての遺伝子情報が読み解けますので、それぞれの細胞がどのように相互作用して皮膚を維持しているのかを、遺伝子的にネットワーク解析することができます。このようなミクロな情報を持ちながらマクロな視点でも研究を進めていけば、例えば個人ごとの皮膚での全細胞の遺伝子情報などを蓄積していき、ゆくゆくはパーソナライズに特化したサービスができるのではないかと考えています。もちろん、このような仕組みはおそらく医学の領域で先に実現されると思うのですが、健康・美容領域に対してもアプローチできるのではないかと思います。
ー 資生堂の研究所はこのような人に向いている、といった人材像はありますか
社内を見ていると、積極的にコミュニケーションを取る人が多いように感じます。専門的な研究をしていると、1つの分野に没頭して視野が狭くなりがちだと思いますので、別の分野にも好奇心を持ち、理解しようとするバランス感覚を持っていると良いと思います。私自身も専門に寄ってしまうことが多いのですが、専門分野の知識だけで商品化まで実現するのは難しいです。新たな技術を作る際に、自分の領域だけではどうしても解決できないという状況を何度も経験しました。様々な分野と融合して研究を進める必要性は高いので、コミュニケーション能力であったり、異分野に対して興味を持つことは重要だと思いますね。
ー 研究所にいらっしゃる方は、どのような分野の方が多いのでしょうか
医薬系出身者だけでなく、例えば心理学を専門にしている人たちもいます。会社として「WIN 2023 and Beyond」という中長期の方針を掲げているのですが、その中の1つの方向性として「スキンビューティー領域」に会社として注力する点が示されています。また、当社は、イノベーションを生み出すために多様性を非常に重視していますので、採用の際にはあまり専門分野にこだわっていないと思います。
ただ、心理学の領域や、感性・脳科学・マーケティングなどの領域は、お客さまのニーズにお答えするうえで大切な領域ですので、これらの領域は重要視されています。これらの領域では、「お客さまの思考を科学する」という観点から研究をされており、そのような心理学的な部分と、普遍的な生物学的な知見を結びつけた提案ができると、新しいプロジェクトを始めて大きくしていけるのではないかと思います。
キャリアに関しては、研究員がどのような方向に進みたいのか、例えば「いわゆる管理職としてマネージャーや部門長に昇進する道」だけでなく、「研究を専門として追求する道」も用意されています。企業内で研究者としての専門性を深めていきたい場合にも、働きがいのある環境が整っていると思います。
ー 大学院生に対して、大学院での過ごし方のアドバイスはありますでしょうか
大学院生のうちは、色々と新しいことを始めるより、「今、自分が与えられているテーマで最大の成果を出すこと」を身につけておいた方が良いのかなと思います。自分のやりたいことは研究者として重要ですが、企業に入ると、どうしても最初は希望とは全く違う業務に携わることが多いです。自分がやりたいことをやらせてもらえるようになるためには、周囲の信頼を獲得しなければいけません。そのために、与えられたテーマで最大の成果を出す必要があります。成果を出して初めて、大きなプロジェクトを動かせるようになります。
ですので、大学院で、まさに今向き合っている研究を着実に進めて、成果として残すことが大事です。そのために私は、周りの意見を聞くようにしています。もちろん、「自分が最も専門性がある」と自信が持てる状況にまで到達する必要はあります。しかし、自分が出したデータを常に精査してくれる方の意見を真摯に受け止めたり、学会に出て自分の取り組みを世の中に発表したときのリアクションを大切にしています。このような、自身の研究を客観的に見てくれる人や場所を確保するのが大切だと思います。
それによって、きちんとしたデータが積み上がっていき、思いもよらない方向に研究が進んで大きな成果に繋がるということもあります。おそらく企業のほうが、「研究としてやりたいことをやる」という意味では、シビアに考えられる環境であると思いますので、そういった土壌を作ることを心がけています。また、私は本当に周りの人に恵まれていて、企業にいながらも、研究することの重要性をよく考えるようになっているので、見本にしたい人を探すことも重要だと思います。
ー 澤根様の場合は、見本にしたい方はいらっしゃいますか
共同研究をご一緒させていただいて、博士課程へ進学した際にお世話になった、大阪大学の高倉先生(高倉 伸幸 氏:大阪大学微生物病研究所 教授)はバランス感覚が素晴らしい方でした。最先端の医学研究をけん引しながらも、その技術を使ってどのように社会貢献できるかという視点も持たれている方でした。大学の中でもそのような先生がいらっしゃると、企業で基礎研究を行う際に大変勇気づけられます。このような先生から学びながら、先生の研究室の修了生として恥じないように研究を続けようと思っています。
プロフィール
澤根 美加 氏
株式会社資生堂 みらい開発研究所。1981年東京都生まれ。2006年東京理科大学理学部修士課程修了。2006年株式会社資生堂入社。2014年大阪大学医学部博士課程修了。博士(医学)。専門は、血管生物学・皮膚科学。