【京都大学 橋本幸士氏】少年との握手と、科学者としての在り方 ―超ひも理論への興味と、説明の難しさ― (2)

インタビュー

― 最初からそのような効果を狙ってアウトリーチ活動を始められたのですか

 きっかけがありました。理化学研究所で研究室を主宰していたときに、研究所の一般公開というものがありまして、自分なりにわかりやすくポスターを作成して臨みました。一般の方にそれを説明するのですが「難しいことやってるんですね」「頑張ってくださいね」と言われるだけで、相手に良い印象を与えられなかったのです。「僕は国費を使って何やってるんだ」と残念に思いました。

 ところがそのとき、小学校低学年の男の子とお母さんが来て、僕の説明の後に、お母さんが男の子に「握手してもらいー」と言って、僕はその子と握手しました。すると「科学者と握手できた」とすごく喜んでくれたのです。「これは何だ!」と、とても考えさせられました。科学のディテールを説明することだけが社会還元ではなく、まず研究所で科学者が沢山働いているということをわかってもらい、動物のふれあいランドのように接点を作らなければならないと思いました。このことをきっかけに、方向転換しました。科学者とは何か、いかに科学者が世の中を支えているか、を説明するような講演にしました。

― 男の子もその握手で科学に対する意識が変わったかもしれないですね

 そうかもしれませんね。教科書に出てくるような偉人だけではなく、「世の中に科学者ってたくさんいるんだな」という感覚になってくれます。

―「科学者とはどんな存在なのか」を伝えられてきたのですね。サイエンスコミュニケーターという職業も浸透し始めていると思いますが、周りに事例はありますか

 多くは思い当たりませんね。僕のやってることに賛同してくれる科学者は少ないです。学生も研究者になりたくて必死ですので、社会と科学の接点に興味を持つ人は少ないと思います。しかし、研究者として生き残るためには、大学の教員になる必要があって、教員は学生に教える立場ですので、コミュニケーションの重要性についていずれ知ることになるでしょう。ポスドク期間が長く、ようやく教員になられた方は、そのようなスキルも必要だとわかっていらっしゃって、僕のところに「モチベーションをどう伝えたらいいか」と訊きにくることはありますね。

― 自分とは異なる理解度の人とどうコミュニケ―ションをとるかというのは教員としても大事ですね

 残念ながら、大学教員になる前には教育技術を学ぶ機会がありません。ですから、僕の学生にはプレゼンの仕方を教えています。ただ、そういう機会を重要視する学生もいれば、そうでない人もいます。論文を書くことだけが重要だと考えている人もいます。高専の先生になって教えることを楽しんでいる人はいますが、サイエンスコミュニケーターになった人はいません。

― 先生の研究室では大学の教員になる方が多いのですか

 会社員や国家公務員になる人が多いですね。職種としてはSEが多いです。大きな企業もありますが、中小企業で興味が合致した企業のSEなど。また、JAXAに行った人や、文部科学省に行った人も多いです。シンクタンク系もいますし保険関係の人もいます。金融商品の開発など、商品開発に数理的な知識を活用しています。素粒子論に取り組んできたので、その論理性や数字を操るテクニックを活かして活躍しています。

― そのような方々は、先生の研究室で機械学習やディープラーニングを学ばれた方ですか

 いえ、違います。理論物理の世界に機械学習が入ってきたのはおよそ3年前で、最近です。今は確かに機械学習を扱う理論物理の研究者も増えてきましたが、まだそこで手法を学んだ学生が博士号を取る段階までは達していません。僕の学生の中でも、博士後期課程1年生で機械学習と素粒子論に取り組む人がいます。

― 共著で出されている御本では、先生ご自身が機械学習を扱われているのでしょうか

 「ディープラーニングと物理学」という教科書を書いたのですが、共著者が田中章詞さんと富谷昭夫さんという方です。この二人は大阪大学の研究室の卒業生で、大学院生のときの専門は機械学習と全く関係なく、純粋に素粒子論で博士号を得られました。そのあと二人は共同研究で機械学習を物理に応用する研究をして、それがとても好評でした。私とも共同研究をしました。そして「これは今必要とされているので、教科書として書けば良いのでは」となったのです。三人全員で書いたのですが、機械学習を僕に教えてくれたのは彼らです。今ではこの研究分野ができあがりつつあります。今は1000人くらいのコミュニティになっています。博士号を持った人材が育つまでにはあと2~3年かかるでしょう。

― この先、素粒子論はどのように展開して、どのように社会とかかわっていくのでしょうか

 今までの素粒子論の研究手法は、直接企業の研究に活かされるという学問分野ではありませんでした。アカデミアをやめて民間企業に行くと、素粒子論の技術を直接には活かせないのです。しかし、ここ3年くらいで機械学習の波が素粒子論にもきて、学生にメリットが出てきました。機械学習を学んだり、論理的にどう使うかを経験すると、今の社会はそれを要求するので、メリットがあります。社会との大きい接点も加わることで、すぐには役に立たない学問でも、手法が役に立つ面もあるという変わり方をしています。

 分野全体に関しては、機械学習が素粒子論を大きく変えるとはまだ考えていません。素粒子論は「宇宙が何からできているのか」を探求する学問ですから、素粒子論が機械学習に取って代わられるということはないでしょうね。大きな学問の道はそのままで、科学技術の変化が社会に影響を及ぼして、社会との接点があるときに学生がメリットを感じる、という構図なのではないかと思います。

― すぐに使えない研究と、すぐに結果がでる機械学習の2つが重なり合うことでお互いに補いあう、というイメージを持ちました

 理学や工学など、科学の全分野に言えることなのですが、1990年代にスーパーコンピューターが活用できはじめて、今まで人間がシミュレーションできなかったことが、どんどん仮想的にシミュレーションできることになって、それで科学は飛躍的に進んだわけです。今その役割を機械学習が担っており、それを僕は第三の実験と呼んでいます。第一の実験として「本当の実験・自然の実験」、第二の実験としてスーパーコンピューターを使う数値実験があって、機械学習を使う「第三の実験の時代」がやってきて、それを使うことによって科学が飛躍的に進む可能性があります。

― 新たな手法が加わることで、より研究しやすくなるということでしょうか

 研究は「タコ壺」と言われまして、進めば進むほど先が細くなっていって他の分野との関係性が切れてしまいます。素粒子論も例外ではなくて、物理学も扱う対象の大きさによってタコ壺化しているのです。素粒子、原子核、物性、宇宙・・というように。ですからそれは否めないのですが、機械学習やスパコンのように、そういったたくさんのタコ壺にグサーッと横串を入れてくれる科学技術の発展があれば、皆タコ壺から出てきてくれます。今はそういう時期だと思います。

― 今まさに時代が変わってくるところにいるのですね

 はい。今の時代の学生はラッキーだと思います。長く培われたその分野での経験を一切無くして、機械学習をポチっとやれば、過去の成果に匹敵するような結果が出る分野もありますから。そういうときに学生が入ってくるとそれに飛び込んで、偉い先生の言うことを気にせず新しいことができるようになります。それはメリットですし、社会にも直接繋がっていまから、自分の就職や活路を見出す上でもチャンスに繋がっています。

― 最後に読者にメッセージをお願いします

 機械学習が様々な分野に入ってきて、社会との接点という意味では良いことだと思います。一方で、これから機械学習が各学問に対してどのようなことを起こしてくれるかは全く未知数です。機械学習はあくまでもツールですので、使わなければ学問ができないわけではないですし、学問は本来の目標や目的があります。素粒子論であれば、宇宙は何からできているのかという問いを解明する。その目的に従って既に100年もの歴史があるわけです。それをしっかりと学んだ上で、新しいツールを試すことは奨励されます。自分の目指したいアカデミックな目標を、まずは伝統に則ってしっかり勉強して研究して、その上で新しいツールにも手を出してみると、全く新しい地平が開けるかもしれません。手を出して面白い結果が出れば、先輩研究者も説得できるかもしれません。余裕がある人は是非チャレンジしてほしいです。ただ、学問の重要な本筋は見失わないで欲しいと思います。

橋本 幸士 氏(インタビュー当時)

理論物理学者、京都大学大学院理学研究科教授。1973年大阪に生まれる。2000年に京都大学理学研究科博士課程後期課程修了。理学博士。2001年東京大学助教、2007年理化学研究所研究員、2010年同研究所准主任研究員、2012年大阪大学大学院理学研究科教授、2021年より現職。

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