「AJ出張版」は、株式会社アカリクが発行する「大学院生・研究者のためのキャリアマガジン Acaric Journal」の過去の掲載記事や、WEB限定の新鮮な記事をお送りするカテゴリです。今回はvol.3の掲載記事をお届けします。
熊谷氏は、仏教学者であり、お寺の住職でもあります。昔はお坊さんを通して伝えられ、人々の心の拠り所であった仏教の教えですが、現在は、自分の宗派さえわからないくらい、身近に感じることができなくなっています。学際研究によって探求される新しい仏教の在りかたとはどのようなものなのでしょうか。
― 研究のテーマ、現在に至るまでの道のりを教えてください
実家がお寺でして、実は私はお寺の住職でもあるんです。無給ですが(笑)。仏教を学ぼうと思い、学部時代にはインド仏教の勉強をしましたが、4年間では仏教の全容がまったく分からず、大学院に進むことにしました。修士課程ではチベット仏教を研究しました。博士課程では、ボン教というチベットの土着宗教の哲学を研究し、インド仏教、チベット仏教、ボン教の思想を比較考察し、ポスドクまでは思想史研究を行っていました。
― 研究を始められた当初は、思想史をコツコツと研究されていたのですね
仏教学の研究では、破れていたり綴りを間違えていたりして読解しにくい古文書の写本を、欠損や誤植を修復・修正することで、オリジナルのテキストに復元するという作業を行ってきました。そして、これまで誰も読めなかった文献の思想を整理し、思想史を再編するという研究を続けてきました。このようなパイオニア的な作業に対して、研究者は褒めてくれますが、日常生活には役に立たないので世の人々はなかなか喜んでくれませんね。
助教になった際に白眉センターに所属することになり、ブータン研究を始めました。 ブータンを訪問した際に、ブータンの宗教大臣から、国教であるドゥク派仏教の開祖であるツァンパ・ギャレー(1161-1211)の古文書をいただきました。このことがきっかけで、ツァンパ・ギャレーの著作を解読し、人物像や思想の全容を解明していきました。この開祖の著作は50点ほど現存しており、私の研究チームが全ての写本を校訂して出版する予定です。これでブータン国教の起点の全容を解明できることになります。
ツァンパ・ギャレー研究のように、これまで誰も知らかったことについては自分で調べる必要がありますが、私は人に訊いて分かることは何でも訊いてしまえばいいと思っています。誰も知らないことだけ、自分で調べたら良いと思うのです。無知を晒すことを恥ずかしがらなければ、知らない情報をどんどん手に入れることができるようになります。私はそうやって人に気軽に声かけをしてしまう半面、人から気軽に声をかけられることも多いですね。私は結構軽い人間なので、頼み事がしやすいみたいです。
ー 今回のインタビューを引き受けてくださっていますし。お願いしやすい雰囲気はどの辺りにあるのでしょうか
私に貫禄がないからではないでしょうか(笑)。権威主義的なアカデミズムに対しては、特に強いこだわりはありません。例えば、ディシプリンごとに論文の書き方や論じ方などの「お作法」があると思いますが、私は自分の好きなように書いてしまえば良いと思っています。私も以前は、仏教学のお作法に倣って論文や本を書いていましたが、それではなかなか言いたいことも伝わらないので、最近は、自分の好きなように書いています。
また、これまでの人文科学では、自分の持っているデータを自分だけで隠し持つ風潮がありましたが、私は欲しいと言われたデータはどんどん渡し、公開するようにしています。これは「オープンソース化」と言われるそうですね。自分の持っているデータを公開すると、そのデータを使ってほかの研究者が先に成果を出してしまうことを恐れてしまうのでしょうが、ディシプリン全体としては、その方が研究が進展することになるので良いと思います。
ー オープンソースに関しては一部理系でも取り組みがありますが、それには様々な決まりがありますね
私は、私の持っている情報やアイデアは、どんどん持って行って自由に使ってくださいと言っています。自分一人で全てやるのも限界がありますしね。恐らく、このような気質のせいか、いろいろな人が話に来て、そこから新しいアイデアが生まれ、さまざまな融合研究に繋がっています。
ただし、文理融合研究は、表面的な情報共有だけではなかなか生まれないと思います。分野の異なる研究者が、お互いの研究内容を深く知る必要があります。先ほどは、分からないことがあれば、全部訊いてしまえば良いと言いましたが、聞いた内容をしっかりと理解し、自らが主体的に進めていかなければいけません。
2021年の3月に「ブッダボット」という仏教対話AIを公表しましたが、この人工知能を作るときも、自分で少しでもプログラムの読み書きをできるようになるために、機械学習やプログラミングのオンライン講座を片っ端から受けました。
ー ブッダボットの研究を始めたきっかけについておしえてください
ブッダボットを作り始めたのは、仏教界からの要請がきっかけでした。東伏見(東伏見 光晋 氏 青蓮院門跡 執事長)さんから、「仏教離れが進んでいるが、どうにかならないか」という相談を受けました。その原因を紐解いていくと、仏教の形骸化が大きな問題であるとのことでした。そして、仏教復興のためには、仏教の本質であるブッダの教えを取り戻す必要があるという結論にいたりました。ブッダの教えとは、幸せになるための教えです。
では、一般の方々に、直接仏教の智慧に触れていただくためには、どうすればよいのだろうかと議論を続ける中で、人工知能に活路を見いだせないかという話になり、天才プログラマーである古屋さん(古屋 俊和 氏 Quantum Analytics Inc., CEO)と、仏教と人工知能の融合可能性について検討しはじめました。
ちょうど同じ頃に、人工知能研究をしている粟野さん(粟野 皓光 氏 京都大学大学院情報学研究科 准教授)から「まだ人工知能は宗教分野に参入しておらず、やりたいのだけど周りに宗教学者がいないので、興味があれば一緒にやりませんか」という相談をいただき、共同研究を始めました。粟野さんの紹介で、三浦さん(三浦 典之 氏 大阪大学大学院 情報科学研究科 情報システム工学専攻 教授)という超小型コンピュータの開発者が加わり、私は同僚の認知科学者の上田さんに半ば強引に加わってもらいました。彼らとは、後述するサイキ・ナビゲーション・システム(Psyche Navigation System、以下PNS)を開発することになりました。
― ブッダボットの役割とは、何なのでしょうか
これまでの仏教と人々との接点は、仏教学者が経典を解読して書籍化し、それを読んだお坊さんたちが檀家の人たちに説法し、檀家はお坊さんにお礼としてお布施を渡すというサイクルがありました。でも、最近、お坊さんからアドバイスをいただくという経験をすることなんて殆どありませんよね。昔は、勉強や家族のこと、結婚についてなど、困ったことは何でもお坊さんに相談をしていました。しかし、最近はお坊さんと直接話せる機会がありません。そこで、お坊さんの代わりにブッダボットに質問して、ボットが回答する。そしてユーザーからはお布施の代わりに感想のフィードバックをもらいます。それによって、2500年前の仏教経典のうち、どの部分が現代での役に立つのかが定量的に分かるようになります。また、ブッダボットで使用する人工知能にほかの宗教の書物や哲学書を学習させた「伝統知ボット」も開発していく予定です。そしてそれを、現在開発中の サイキ・ナビゲーション・システムの一つの軸にしていきます。
― ブッダボットの仕組みは、どのようになっているのでしょうか
人工知能に「スッタニパータ」と呼ばれる最も古い経典を学習させました。というのも、古代の経典になればなるほど、日常生活に近い内容のアドバイスが説かれています。日ごろの悩みにも向き合えるようにと、原始経典を学習データにすることにしました。
ブッダボットの最初の試作品は、AIがゼロから文章を自動作成するようなプログラムの設計を目指したのですが、結果として、単語レベルでしか回答できず、失敗に終わりました。失敗の理由としては、人工知能がゼロから文章を自律的に作ることが極めて困難であったということと、データセットが少なすぎた(Q&Aリストが50程度しかなかった)ということが考えられます。
そこで、2番目の試作品は、文章の自動作成は諦めて、機械学習させたQ&Aのアンサー部分の文章を、変更せずそのまま回答として提示するという形式のプログラムにしました。データセットも100件程度に増やしました。結果として、質問の種類によっては、まともな回答が出せるようになってきました。
よく「学習データを何万件入れたのですか?」と質問されますが、「100程度です」と答えるととても驚かれます。「そんな少ないデータで正しい回答が出せるのか」と。通常、相当数のQ&Aリストが必要になると思いますが、たった100件のQ&Aで、ある程度の体裁を整えることができるようになったことに私たちも驚きました。これは、「スッタニパータ」の中でのブッダと弟子との対話の内容が、かなり汎用性の高いものであったということの証明にもなるでしょう。
プロフィール(インタビュー当時)
熊谷 誠慈 氏
京都大学こころの未来研究センター上廣倫理財団寄付研究部門長/准教授。1980年広島生まれ。京都大学大学院博士課程修了、文学博士。京都大学白眉センター助教、京都大学こころの未来研究センター上廣こころ学研究部門特定准教授を経て、2020年より現職。専門は仏教学(インド・チベット・ブータン)およびボン教研究。