挨拶
こんにちは。
はじめまして。みっつと申します。2019年の3月に博士号を取得したのち化学系のメーカーに就職して、今年で3年目の社会人です。出身は工学部で、超分子化学や光化学に関連する分野を専攻し、光エネルギー変換を行うことができる液体材料を作っていました。社会人になってからは心機一転、それまでのバックグラウンドとは別の領域での研究やサービス開発、新規事業の立ち上げなどに関わり、日々悪戦苦闘して生活しています。
また、仕事の外では有志のチームを組んで新しいチャレンジをしながら、忙しくも自由な、充実感のある日々を送っています。
記事について
この連載では、博士号取得に至るまでの大学院での研究生活や、その後会社に勤めるようになってからの数年間、周りの方々からかけていただいた一言について紹介していきます。どれもメモ帳や日記に書き留め、何度も見返すほど大切にしているものです。
ここでは、その時の自分にとって気づくことがあったり、あまり精神的にタフではない自分が励まされたりして印象に残っている生の言葉と、その時の感情、それから今の自分なりの解釈を紹介していきます。
こうした言葉そのもの、そしてそれをかけてくれる方が周りにいたということに感謝しながら、もしも今どこかに当時の自分と同じような状況の人がいるのであれば、そのような方に同じように届けることができればいいなと思い、書かせて頂いています。
あるいは、学生を率いている先生方や後輩を指導している方、つまり周りの人に声をかけてあげる側の方々にとっても何かの参考になったらいいなと思っています。
僕一人の体験が、いつかどこかの誰かにとって意味のあるものとして消費されるのであれば、それはありがたいことだと思います。たまたま遭遇できた貴重な機会への恩返しにもなるかな、と感じてます。
以上のようなモチベーションで、書いていこうと思います。誰かの共感を得たり自分のことを知ってもらいたいというよりは、僕の経験したことや感じたことを追体験して何かに気づいたり、考えたりするきっかけになってほしいというのが正直な思いです。
今回紹介すること
今回の記事で取り上げる一言は「いい習慣は才能を超える」です。これは学生時代に所属していた研究室の教授が、新人さんが入ってきたときや、年度の挨拶、卒業生に向けてのスピーチなどで、ことあるごとに説いてくれていた言葉です。またあるときは「小さないい習慣は、自分を助けることになります」とも話されていました。
正直、はじめてこの言葉を聞いたときは「はいはい、ゆーて才能ですよね」と思っていました。
なぜなら、すごい人の発する言葉だからです。その教授や、自分を直接指導してくれている先生、ラボの先輩や同期、後輩、みんな自分よりもデキる人で、そういう人たちの言葉は自分には当てはまらないと思ってしまったからです。と思いつつも何か引っかかるものがあったのか、妙に説得力のある話しぶりだったからなのか、当時の僕はメモ帳に書き記していたようです。
その後、ことあるごとに目に留まることになりました。真意を捉えられているかはわかりませんが、少しずつ自分なりに解釈ができてきているので、以下に考えをまとめてみようと思います。
今の解釈
はじめてこの言葉に触れてから5年以上経ちました。ラボを巣立って3年目です。今の僕はこの言葉にすごく支えられています。
「いい習慣は才能を超える」
数年にわたり何度も反芻したうえで改めて教授のことを考えると、まさにこの言葉を体現したような方だなぁと思います。何事にも丁寧で物腰柔らかく、他者への敬意を忘れない、そのような方です。
なにか成功を掴みとるために必要な素養や能力が生まれながらにして十分備わっているような状態を、一般的に「才能がある」ということが多いと思います。ですがそもそも、才能だけで何かを成し遂げられるはずがありません。才能のある者が成功する、そういう考え方は、他人の見えない努力を踏みにじる失礼なものの見方なのではないかと思うようになりました。
それからというもの、「なんかすごい」と思う人に出会ったときは「この人にはどんないい習慣が根付いているのだろう」と考えるようになりました。
漠然と他人を認めて憧れることも、もちろん大切だと思います。そこから少し踏み込んで、その人の背景にある「その人たらしめている行動(=習慣)」まで考えはじめると、それを真似して自分の生活に取り入れてみることができるかもしれませんし、あるいはより深くその人を理解することに繋がるかもしれません。
最近は、越えられないと思ってしまいそうな壁が立ちはだかったとき、よく見るとそれは登れる階段かもしれないと思えてくるような感覚があります。
「たぶんみんな、そうやって一段ずつ登り続けてきたんだろうな」と、それまでとは別種の他者への敬意を持てるようになった気がします。
必要以上に他人にコンプレックスを感じることなく、同じように自分も何かを積み重ねるんだ!と日々のエネルギーにすることができるようになったと感じます。
なにか新しいことに挑戦するときに、いつも助けられている言葉です。
どういうふうに根付いているか
上記のように考えるようになって、僕の過ごし方がどう変わったかを補足します。
この考え方を実生活に適応させているケースがふたつ思い当たったので、ご紹介します。
習慣を作るとき
何かを始めるときや教わるとき、1回目には特に気をつけるようになりました。一番最初に身に着けた方法が、しばらくは自分のスタンダードになるからです。具体的には、例えば実験の方法や装置の使い方、ファイルの命名法などが当てはまると思います。「このやり方であとで困らないか?この操作なら調子の悪い時でも間違えないか?」などと未来の自分や周りの人に頭の中で問いかけながら手順を作るイメージです。
1回目にできるだけ時間をかけて、いい方法を習慣づけることが、その後の操作の速度や質を決めることを知っているので、その1回目に例えばその操作を教えてくれる人をその場でどれだけ待たせてしまうことになっても、「これが後にこの人の時間や手間を省く事にもなるはずだ」と思いながら実践しています(みなさま、いつもお待たせしてすみません)。
もし誰かに何かを教える側で「こいつ覚えるのおっせーな」と思うことがある方、1回目だけは多めに見てあげてください。
逆算して習慣化すること
何かをやりたい、やらなければならない事があるときに「この目標を達成するには、どういう習慣を身につければいいだろう」と考える癖がつきました。
僕自身の最近の例を挙げると、3Dモデリングの技術を習得したいという目標に向けて「では毎日1つずつ、身近な見慣れた化学系の実験器具のモデルをつくってみよう」といった風に日々の生活の中に取り入れました。結果的に技術習得もスムーズに行うことができて、バーチャル空間で化学の出展を行う事にも繋がりました。
ほどよい負担量で、気軽に楽しめて、かつどこかで使えるかもしれない。そういう習慣を、目標に対して逆算して設定するようにしています。
本業の会社での仕事でも、滞りなくプロジェクトを進める目的のため、定期的にマイルストーンを設定してメンバーと共有し合うことも意識して実践しています。
他者が絡むと難易度が突然増しますが、各回は短時間なものでも、スクラムのような形式で簡単な報告とディスカッション、次のアクションを決定する会を開いてもらう習慣を持ち続けることで、スムーズに物事が進むことが多くなったと感じています。(管理し合うというよりは共有して目線を合わせる雰囲気で実施しているということも補足させてください)
習慣が続かないとき
などといいつつ、僕自身はすごく習慣やルーティンが苦手です。毎日同じ時間に寝起きしたり、決まった日に洗濯や家事をしたりなどはもってのほか、単調なことを繰り返すということが大の苦手です。だからこそ、この言葉を大事にしていたいと思っているのかもしれません。
同じことを続けようとするモチベーションについては「いつかこの習慣がきっと自分を助けてくれる」という言葉が支えてくれるのですが、そもそも習慣化が苦手な自分なのに「続けられるはず」と思える自信はどこから来るのかを考えてみました。
結果としては「いつかやめちゃうかもしれないけど、あのときは〇〇ヶ月頑張れたし、そのくらいの期間は続くだろう」という気持ちが、安心の材料になっていそうだと気づきました。
僕の場合だと
「あの時期は休日だろうがどんなに忙しかろうが文献を毎日一報以上読むと決めて過ごしていたし、今回の件もいけるやろ」
とか
「あの頃は毎週金曜日に先輩と打ち合わせを設定して、それに向けて進捗をなんだかんだ出せていたし、今回も大丈夫なのでは」
とか
「楽器はもう何年も続けてるな、楽しみながらだったらいつまでも続けられるのかも」
のような感じです。
体育会系の力技のように見えてしまうかもしれませんが、参照元にしているのは、「限られた期間だけ」続けることができた習慣です。
これまでの生活を思い返して、よりどころにできることが何か一つでも見つかれば、それが限定的な経験だとしても大きな支えになるのではないかと思います。たとえ外的な要因で継続できていたことだとしても、その期間続け抜いたのはその人自身の力による結果だと思います。
続ける自信がないときに、過去の自分を参照できれば、だいぶ楽観的に構えることができると感じています。
それが一ヶ月しか続かなかったことだとしても、一ヶ月は続く保証になるので、次回は「一ヶ月と一日」続けられれば御の字です。
それが一週間だとしても何かを続けるってすごいことだと思いますし、7日も同じことを続ければなにか一つのことを得るには十分だだと思います。
おわりに
いい習慣が本当に才能を超えられるのかは、正直まだ今の僕にはわかりません。ですが、こういう考え方を知ることができて、ものの見方が少しだけ変わったことと、自分で実践してみて確かに助けられることがあったということを共有してみたくて、今回の記事に書いてみました。
今この言葉が僕の心の支えになっているように、どこかのどなたかの大切な言葉の一つになったらいいなと思っています。
<筆者について>
みっつ(工学博士)。超分子化学、光化学に関わる研究で博士号取得後、国内メーカーに就職。基礎研究や商品/サービス開発、最近は新規事業の立ち上げにも従事。仕事以外の時間はSciKaleidoというチームにて「科学をエンタメ化したバーチャルコンテンツ」を開発中。SciKaleidoについて: https://sites.google.com/view/scikaleido
筆者について: https://twitter.com/Mittsujp
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