【島根大学 伊藤史人氏】テクノロジーが福祉業界にもたらしたコミュニケーションの可能性 ―得意なことを異分野に持ち込んで人助けをするということ―

インタビュー

「AJ出張版」は、株式会社アカリクが発行する「大学院生・研究者のためのキャリアマガジン Acaric Journal」の過去の掲載記事や、WEB限定の新鮮な記事をお送りするカテゴリです。今回はvol.4の掲載記事をお届けします。

伊藤氏は、視線入力技術というテクノロジーを用いて、重度障がい者のコミュニケーションを支援しています。インターネットが世の中で使われだした頃にメールのやりとりを通じたある人との出会いによって、現在の研究に導かれたと語ります。学部を卒業しなかった研究者は、数多くの大学生を活躍へ導いています。

― 現在取り組まれている研究テーマについて教えて頂けますか

 身体をほとんど動かすことができない重度障がい児のコミュニケーションを、テクノロジーを使って支援しています。特に視線入力技術に注力していて、目の動きで文字盤を打ったり市販のゲームで遊ぶことができるような技術を扱っています。重度障がい者は、認知面は特に問題がない人と、困難がある人の2つのパターンに分かれます。認知面に問題が無い場合、身体の動かない分を補ったり増幅するといった、昔ながらの福祉工学が適応できます。例えば、視線入力やスイッチ操作によって手の代わりを補うといったアプローチです。有名なホーキング博士の場合は、目尻の筋肉の動きで1つのスイッチのオンオフを操作することで、コミュニケーションをとったり論文を書いたりと、様々なことをしています。このように機械の支援があれば、知的活動は高度に維持されて世の中でも活躍できることが分かっています。

 私が主に取り組んでいるのは、もう一方の、認知面に困難を抱える方々への支援です。彼らは、何をどこまで理解しているのかが分からないため、病院や施設ではあまり相手にされず、どのような可能性があるのかがあまり顧みられていません。しかし、そのような子供であっても、お母さんの写真と知らない人の写真を並べると、お母さんの方を見ようとします。何も分かっていないとされていた子の視線を観察することで、お母さんの顔をどうやら理解していると分かった時、周囲の家族や支援学校の教員はとても驚きます。「だったら、こういうのも分かっているかもしれない」「こういうのもやってみたらどうだろう」と、周囲の取り組みが変わってくるのです。本人はただ普段通りのことをしているだけですが、その子の周辺の環境がどんどん変わっていきます。これは、視線入力を直接的ではなく間接的に使っているのですが、彼らの環境を大きく変える支援だと考えています。私たちは、EyeMoTという視線入力訓練ソフトを使って、そのような反応が分かりやすくなるように可視化したり、刺激を提示したりして、彼らが何をどのように認識しているかを抽出するための研究を行っています。

― なぜ認知面に困難がある方々にアプローチされるのでしょうか

 一橋大学に所属していた時に、ASL(筋萎縮性側索硬化症)の人を対象に、コンピューターを使ったコミュニケーションの補助のシステムを開発する研究をしていました。その中で、認知面の弱い子供を対象にしたことがあったのですが、予想以上に反応が得られ、周囲がとても驚いたのです。この結果をSNSで発信したところ、「自分の子はどうなんだろう」と人が集まって広まっていき、まだやれることがあるなと感じました。当時は、その研究だけに専念することが難しい部署にいたので、今の島根大学に移るタイミングで専門にしました。

― 研究者になるまで、どのような道を歩まれてきたか教えてください

 幼少期は横田基地の近くに住んでいて、飛んでいる飛行機をよく見ていたのを覚えています。おそらく他の研究者の方々と違うのは、成績がものすごく悪かったことですね。小学校2年生の頃に既に落ちこぼれと言われていました。大学では履修申告が苦手で、多くの科目の中から選択して期日までに提出するということがなかなかできませんでした。講義で提出物が求められる場合も期日を守れず、結局大学も6年ほど通って親に内緒で中退しました。2年前に親に報告したのですが、その時の驚いた親の顔は写真に撮ってブログにあげました(笑)。ですので、私は大学の学部を卒業せずに研究者になっています。

ー その後、どのようにして現在の研究テーマに出会うのでしょうか

 学部2年生の時に、障がい児と遊びにいくボランティアサークルのポスターが学内に貼ってあるのをたまたま見つけて、定期的に参加するようになりました。この頃はインターネットが出始めた時で、私はいち早くメールを使い始めていました。ネット上で知り合ったコンピュータに詳しい人とメールでやりとりしているうちに、実際に会いましょうという話になったのですが、実際に会ってみると、その方は全盲だったんですよ。コンピュータにとても詳しく、学校の先生をやっていて、当日も待ち合わせのカフェに1人で来ると言っていましたから、事前のメールのやりとりでは全く気がつきませんでした。その方は、パソコンの読み上げ装置と、点字ディスプレイや点字キーボードを使っていると教えてくれました。その時に、「こんなに障がいが重くても、コンピュータと通信があれば障がいがなくなる」と知りました。これがもっと広がれば、自分が通っていたボランティアサークルの子どもたちも助かるのではないかと思ったことが、現在の研究テーマに繋がっています。

 大学5年生になる頃には大学にあまり行かなくなってしまっていて、この状況をどうにかしようと、地元の小さなコンピュータ会社で働きはじめました。入社して2~3年経った時に、所属先と地元の大学との共同研究の仕事が入って、その担当を任されて大学に行くことになったのです。その共同研究では、CTやMRI画像などの医療用画像処理の研究をしていたのですが、それが面白くて、大学っていいなと思いました。会社での仕事は、いろいろな管理用ソフトウェアの開発やデータベースなどを扱っていて、お金にはなりますが内容はあまり面白くありませんでした。このまま大学で働くことができないかなと思っているところに、ちょうど大きなプロジェクトの公募があって申請してみたら当たったんです。3年間で1億円のプロジェクトだったので、教授も喜んでくれました。会社には頻繁に遅刻したりと、よく迷惑をかけていたこともあり、このタイミングで私を手放してくれて、晴れて大学院の研究員として働くことになったのです(笑)。

 3年間の期限付き研究員だったのですが、修士を取った方がいいのかなと思って調べてみると、社会人経験が3年間あれば大学院の受験資格があったので、研究員をしながら大学院に通いました。修士を出てから30歳頃までは、研究員として研究補助などをやりながら、地元の職業訓練校で講師もやりつつ、博士後期課程を狙って働いていました。研究員という不安定な立場だったので、早く安定したポストを得なければ、と考えていました。博士号が取れるかなという時に、アカデミアのポストに色々公募を出しましたが、50個くらいダメでした。地方の大学で年齢も少し高かったので、条件的に厳しかったのだと思います。33歳の時に一橋大学の助教の枠に通って、そこからようやく障がい者対象の研究ができるようになりました。それまではずっと不安定な状態でしたね。

― ご自身の今後のキャリアについてどのようにお考えですか

 実は、2017年からがんを患っています。数年後、研究を続けていられるか分からない状況なので、今後のことは数か月スパンで考えています。10年後のことなどは考えていなくて、とにかく今やれることを精一杯やるしかないのです。これからは、病気を持ちながら働くことが大切になってくると思います。喫緊の課題としては、視線入力装置を家や学校で使ってもらう中で、様々なノウハウがたまってきたので、それらをまとめて、何かしらの形にして伝えていきたいと思っています。

― 周囲の学生のキャリアについての考えを教えてください

 私たちは、作成したソフトウェアのエンドユーザーを直接相手にしているので、直接フィードバックをもらえます。このやり取りを通して、学生は外の人とのコミュニケーション能力が身につきます。直接もらった要望を聞いて、改善することでモチベーションが上がるのですね。自分のためだけでなく、誰かが使ってくれる前提で作るので、緊張感をもって取り組むことができてプログラミングスキルも上がります。

 さらに、私たちは小さい研究グループなので、プレゼンスを上げなければいけません。受賞など、何かしら目立つように動くことを意識しています。学生達には、学会で発表する際は必ず受賞を目標にしていて、割と実現できています。すると学生は、自信がついて業績も確保できるため、希望する就職先に行けている状況です。具体的な業種としては、ゲーム会社や、鉄道会社のシステム部門などで、やはりシステム系が多いですね。

 ミッションとしては、「自分の名前を検索したら出てくるようにする」ことを掲げています。そうすることで、就職希望先の人が学生の頑張りを理解しやすいため、明示的にやっています。地方の大学ですから、他大学に比べて弱いからこそ外に出ないと行けないし、頼れるものは頼っていかないといけません。それから「奨学金を免除しよう」というミッションも立てています。卒業時に、学会活動などを勘案して300万程度が免除される仕組みがあるのですが、採択されれば車1台分くらいのお金が浮くので、学生は頑張りますね。そういった目先のことも含めて、学生のモチベーションを上げることには気を使っています。学生は、世の中のためになるかどうかよりも、自分に何が返ってくるかということを大事だと考えています。そのため、ユーザーの声、自分へのメリット、経済的なメリットなどいくつかの要素を多角的に考えています。その結果、私の手元には良いソフトが残っていくようになっています。

― 伊藤先生ご自身も、プレゼンスを上げるためにメディアへの露出や受賞などを心がけているのでしょうか

 メディアはあまり得意ではありませんが、多くの人に活動を知ってもらうために積極的に出ています。受賞等もできたら良いと思っています。2017年に「NHK日本賞2017 クリエイティブ・フロンティア部門 最優秀賞」という大きい賞を頂いたのですが、これは効果が大きかったですね。

― 最後に読者である大学院生・研究者へのメッセージをお願いします

 得意なこと、好きなことを伸ばしていって欲しいです。得意なことを努力すると、簡単に人よりもできるようになりますし、できないことはできる人と協力すればいいのです。日本人は真面目で、苦手を克服してこそ素晴らしいといった雰囲気がありますが、苦手な事を頑張ったところで平均程度にしかならなくて、効率が良くないなと思います。私は貧乏な研究員生活をしているときに、10年後どうなってるんだろうと毎日考えていました。しかし、そんな中でも確信があるというか、自己肯定感は高くて、「好きなことを努力していればなんとかなるだろう」という思いはずっとありましたね。

 それから「人の輪の中にどんどん顔を出そう」というのは学生によく言っています。誰か困っている人がいたら、自分の得意なことで人を助けようということです。私の場合はコンピュータが得意で、全く異分野である福祉に足を踏み入れた時に、コンピュータが苦手な人が大勢いらっしゃって、何か少しやるだけで「すごい」と褒めてくれます。自分としては、すごい能力を使っているわけではないのですが、相手にとって苦手なことなのですごく見えるんですね。どうしても専門分野で戦おうとしてしまいがちですが、それでは得意な人同士の戦いになるので、先端的かつ高度な良い戦いにはなりますが、負ける確率も高くなります。それも悪くないのですが、そういったことは天才に任せておいて、普通の人は苦手な人たちのところに行って助けてあげる方が重要だと思います。ですので、異分野で活躍してみることを意識する方が良いのではないでしょうか。

 好きなことをやって、人の輪の中に顔を出して、困っている人がいたら自分の得意なことで助けてみたら、きっといいことがあります、ということですね。

プロフィール(取材当時)

伊藤 史人  氏

島根大学総合理工学研究科機械・電気電子工学領域助教。1975年東京生まれ。岩手県立大学大学院博士後期課程修了(情報科学研究科ソフトウェア情報学研究科)。2001年に民間企業へ入社、2006年岩手県立大学研究員、2010年一橋大学情報化統括本部情報基盤センター助教を経て、2014年より現職。専門はテクノロジーを活用したを重度障がい児・者のコミュニケーション支援。

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