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漢の功臣から学ぶ

2015/04/24 掲載

前回のコラムではゲームから現実世界に活かせるものを学んだという一例を書かせていただきましたが、私は同じく歴史からも多くを学んできました。今回はその中から「蕭何(しょうか)」という人物について書かせていただきます。

蕭何とは

孫子の兵法書の竹簡
蕭何(wikipediaより)

蕭何とは秦末〜前漢の人で、漢の劉邦による中国統一を支えた功労者です。蕭何が生きていた時代の背景としては、秦の始皇帝が長く続いた戦国時代に終止符を打って統一し(紀元前221年)、厳格な「法」に基づく中央集権体制を作り上げていました。しかし彼の死後には陳勝・呉広の乱など再び混沌とした時代に入り、その後項羽と劉邦による楚漢戦争が繰り広げられることになります。

蕭何は文官ですので戦の前線には立っていません。劉邦が挙兵した頃から内政面で活躍、劉邦が漢王となってからは内政トップの丞相として支えてきました。その後劉邦は秦の都咸陽を中心とする関中を押さえて項羽との戦いを始めます。西楚の覇王として圧倒的な強さを誇る項羽を前に劉邦は連戦連敗し何度も窮地に追い込まれますが、蕭何は関中に善政をしくとともに前線で戦う劉邦達に食料や兵士などの物資を補給し続けます。これによって劉邦は何度負けてもその度に立て直し、ついに垓下の戦いで項羽を破って統一を果たします(紀元前202年)。(※1)

蕭何の評価

漢の統一後、蕭何は劉邦から功績第一として評価されています。私は専門家ではないので詳しい考察をしたわけではありませんが、蕭何にまつわるエピソードの中から三つをご紹介させていただきます。

1. 略奪せずに戦える仕組み作り

劉邦は戦う度に項羽に負けますが、それでも最終的に勝つことができたのは蕭何が関中の内政を安定させて物資や兵を補給し続け、略奪することなく戦いを継続できたからです。

当時の戦争では略奪と戦利品で物資をまかなうのが常であり、項羽は当然のように各地で略奪を行ってきました。しかし略奪をすれば人心は離れていきますし、悪いうわさというのはどんどん広がっていきますから、項羽は戦えば戦うだけ敵を作り、行く先々で抵抗を受けることになります。

蕭何は裏方の仕事を通じて負の感情が連鎖していく仕組みを脱し、戦えば戦うだけ人から感謝される仕組み作りました。これによって項羽のように武力で人を押さえつけていく覇道ではなく、徳によって世の中を治めていく王道を実現する仕組みの基礎を作っていたのではないかと私は考えています。

2. 人を見る目

蕭何は一介の侠客に過ぎなかった劉邦を沛の県令に推して挙兵する礎を作った人物です。また韓信を推挙して活躍のきっかけを与えたのも彼で、当時は無名だった部下の韓信を「国士無双」と評して劉邦に推しています。これによって韓信は全軍を指揮する大将軍に任命され、以降漢の統一に軍事面で大きく貢献することになります。そして蕭何が死の直前に後継者として指名したのは、沛時代の部下ではあるもののその後はあまり親しくなかった曹参でした。蕭何の死後、曹参は臣下の最高位である相国に任命されて平和な世の中作りのために大きく貢献したそうです。

これらのエピソードもそうですが、善政で民の人気が高かったことを考えると蕭何は人を見る目が並外れていて、適材適所、人に仕事を任せることが上手な人物だったのでしょう。そして出自や地位ではなく、その人と話す中で価値観や能力を見極めて活躍しうるポジションを見出し、必要なサポートを惜しむことなく行ったのだろうと思われます。

組織として機能するには、個々が特性を発揮できるように適切な役割分担を行う必要があります。蕭何は自身の身の丈を知っていたからこそ自分にないものを持つ人達の力を信じて任せ、自身は裏方に徹していたのかもしれません。

3. 情報の価値を知る

孫子の兵法書の竹簡
孫子の兵法書の竹簡(wikipediaより)
劉邦が項羽に先立って咸陽を落とした時、蕭何は財宝には目もくれずにいち早く文書殿へと向かって法令や歴史書などの秦の公文書を持ちだしたといいます。おそらく劉邦が咸陽を占拠できるのは一時的なもので、項羽が到着すればたちまち略奪されて公文書が焼失してしまうリスクが高いと考えたからでしょう。後に蕭何はここで確保した公文書を分析して漢の法制や内政を整え、統一後の礎を築くことになります。

当時の文書は木簡や竹簡に書かれていたため非常にかさばり、運び出すのも一苦労だったと思われます。そして大量の木や竹の束を馬車だか牛車だかに載せて運ぶその光景を前に、多くの人はせっかく戦に勝ったのにどうしてこんなものを?と不思議に思ったに違いありません。こうした行動を奇異なものとして見る周囲と、一人興奮して目を輝かせながら公文書を読む蕭何…この温度差を想像するだけで面白いものです。

ビジネスに応用してみる

1.バックオフィス

蕭何が行ってきたのはビジネスの世界で言うバックオフィス(間接部門、コーポレート部門)の仕事にあたります。バックオフィスとは総務や人事、経理といったポジションのことで、製造や営業のように作業そのものが直接利益を生み出すフロントオフィス(直接部門)と対比されます。

ビジネスで収益を上げるには他社と競争して勝たなければなりません。そのためにフロントオフィスはノルマや目標といった数値目標を追いかけながら、例えば開発職は他社と差別化された製品を作り、営業職は積極的に新規顧客を開拓していきます。こうしたことから他社と熾烈な戦いを繰り広げているフロントオフィスの仕事は価値が高いけれども、収益に直接貢献することのないバックオフィスの仕事は価値が低いという考え方が生まれます。

実は蕭何の時代にも同じ議論があり、功績第一として数多くの傷を負いながら前線で活躍した曹参を推す声も多かったそうです。しかし劉邦は裏方の蕭何を評価しました。戦いの功績は一時のものだが、皆が戦い続けるための土台、そして将来にも繋がる土台を作り上げた蕭何の功績は万世の功績に値すると考えたのです。

私はビジネスの世界でもこれは当てはまると考えています。つまりバックオフィスの仕事とは、全体の利益を最大化することを目指し、皆が注力すべき仕事に専念できるように雑多な業務を引き受け、現在だけではなく将来にわたって社員が安心して仕事ができるような環境を整えることなのではないかと考えます。したがって仕事を正確かつ効率よく処理するのはもちろん、皆が働きやすくなるように先んじて配慮をしていくことが求められます。また、前線には立ちませんが、当事者の一人として会社を機能させるための施策を考え、フロントオフィスの人達の支援を行います。

そして上記の反対解釈として、存在価値が低いバックオフィスもありえます。

・全体の利益の最大化を考えることなく、自分の仕事を増やすことを嫌がる
・無駄な手続きや規則を増やし、皆の業務効率を下げる
・単にやれと言われたことをやるだけで仕事の効率化を考えない
・当事者意識が低く、必要とされるサポートが何か理解していない

などなど。

バックオフィスのポジションを志向する方は、是非こうしたことを色々と考えてみてください。バックオフィスで求められる能力とは何か、適性があると評価されるのはどんな素養の持ち主か…等、思考実験としてイメージを広げるだけでも大きく変わってくると思います。

2.人の力を活かす術

蕭何は出自や地位にこだわることなく人の素養を見抜いて表舞台に引き上げるとともに、彼らが活躍する舞台を作ってきた「名伯楽」です。先にご紹介した三人のうち、劉邦と曹参とは同郷であり、韓信は漢中時代の部下だったことから、おそらくは折にふれて様々なことを語り合っていたのでしょう。そして蕭何は交流を通じて彼らの人となりを理解し、彼らが力を発揮する場を見出して全力で支援を行ってきました。

私はビジネスで裏方として組織を支える者、あるいは人の上に立ってマネジメントを行う者はすべからく彼のようにあるべきだと考えています。つまり様々な人と密にコミュニケーションを取るとともに、自分にはない優れた能力を持つ人に対して畏敬の念を持ち、必要とあらば周囲に働きかけ、彼らが十二分に能力を発揮できるように環境を整えていく…こうした積み重ねが人の力を最大化し、組織全体の活性化に繋がるのだろうと考えます。

重要なのは分をわきまえること。能力のない人がどんなに勉強したところでできることなんてたかが知れています。自分よりもはるかに優れた資質を持つ人がいるなら、張り合おうとせずにさっさと白旗を上げ、その人が活躍できるようにお膳立てをしたほうが組織としての効率は上がります。もし取るに足らない自尊心のために意固地になり、人の力を活かせない環境にしているのであれば、それは裏方として、マネジメントを行う者として機能していないばかりか存在自体が害悪でしかありません。実際に蕭何がどう考えていたかはわかりませんが、保身であったり自分の利益のために人を利用しようとするのではなく、大局的な視野で動ける人物だったのではないかと私は考えています。

3.データ

蕭何が手腕を発揮した輸送の領域は兵站(へいたん)と呼ばれ、現代ではオペレーションズ・リサーチ(OR)の対象とされています。ORとは数学や統計学的な手法によって最適化する方法のことで、兵站の領域では作戦遂行に必要とされる人員や装備、食料や消耗品の在庫と生産量、陸上・海上の輸送能力や運搬経路等の様々なデータが解析されています。そして解析によってどのくらいの期間作戦継続することができるのか、不測の事態が発生した時に対処可能な後詰を用意するにはどれくらいの時間が必要かなどを明らかにし、作戦立案に活かされるとともに、実際の作戦行動では解析結果が活用されています。

ビジネスにおいてもデータは重要です。ORは生産管理やシフトスケジューリングなどの様々な領域で活用されていますし、ビッグデータ解析をご存じの方も多いことでしょう。もっともデータというのは必ずしも数学を用いた高度な解析が必要なわけではなく、現実の様々な問題を数字に置き換えることによって、仕事の負荷のかかり具合を判断したり、昨年度との状況の比較を行ったり、自身の時間の使い方を効率化させたりと様々な角度から現状を把握する他、検証や修正をすることもできます。

ただしデータというのは単に分析すればいいというものではなく、何のためにどうするのかはっきりした目的がないと単なる数字遊びになってしまいます。たとえば「前年比◯◯%増」とアピールしたところで、それが指標として何の意味をなさないデータであれば、増えたところで何の実績にもなりませんし改善につなげようもありません。ビジネスで重要なのはデータを用いて何をどう変えていくかであって、変革に繋げられなければそのデータは全く意味をなさないということを頭の片隅に入れておいていただきたいと思います。

蕭何にとって始皇帝が遺した公文書は宝の山だったのでしょう。しかし彼は焚書を逃れたレア書籍だから集めたのではなく、漢が天下を目指す上で間違いなく必要となる立法、内政、兵站その他様々な実務に役立つデータが記されている、実用に足るデータだからこそ収集したのではないでしょうか。(※2)

最後に

私が歴史から学ぶ上で大事にしているのはできる限り想像の幅を広げることです。何故そのような発言を行ったのか、現代に置き換えてみると何が言えるか、自分が同じ状況にあったらどのように振る舞うか…など、情報を集めて想像を広げつつ様々な解釈を行います。

これらは時に大きく脱線するので時間的な余裕がないとできないのですが、現在置かれている状況や対処方法について新しい気づきを得られることもあり、文字通り「歴史に学ぶ」ということを実感できます。就活や研究に疲れた時に、ちょっとした息抜きとして歴史に触れてみてはいかがでしょうか?


※1 ちなみに左遷、背水の陣、四面楚歌は蕭何の時代の、捲土重来、乾坤一擲は後にこの時代について詠んだ詩からきた故事成語です。
※2 これは完全に私の想像なのですが、始皇帝は類を見ないほど精度の高いデータを咸陽に集めていたのではないでしょうか。始皇帝は文字、度量衡、通貨、車軌などの統一、交通網の整備を積極的に進めていたことで有名ですが、これは地域ごとにデータの単位が異なり、画一的な計算ができないことが気持ち悪くて仕方がなかったのではないかなと。たとえば車軌の統一によって全ての轍の幅が一致すれば、車輪と轍のズレによる速度低下がなくなり、二都市間の距離に基づいて正確な輸送時間を計算できるわけです。

さらに妄想すると、蕭何は物資の補給を行うと同時に、進軍している土地の地形や城塞のデータ、敵の軍勢との距離や規模の予測データも送っていたのではないかと。張良や陳平はそのデータを元に作戦を立案し、韓信などの将軍が実施した…。もし蕭何がそこまでやっていたと考えれば、劉邦が蕭何の功績について語る時、将を猟犬に、蕭何を人にたとえて、将は単に獲物を追いかけたに過ぎず狩りの功は人にあると表現したのも頷けます。


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