あのときの一言(3)「ちゃんと本気でやったの?」

ポスドク総研
この記事は約6分で読めます。

挨拶

こんにちは。みっつです。大学院で過ごしていた頃や社会人生活の中で出会った印象的な言葉について、今月も振り返ります。その時の気持ちを思い出しながら、なぜその言葉が自分にとって重要だったのか、そして今の自分にどう影響しているのか改めて考えてみようと思います。

今回紹介する一言

修士課程2年生の7月、学会参加中に他大学の教授が一言「ちゃんと本気でやったの?」と声をかけてくださった時のことについて書きます。

研究という世界で過ごすことについて考えるきっかけとなる出来事でした。同じような境遇の人に何かを感じてもらえたらいいなと思っています。

あの時

進路選択に頭を抱える時期も過ぎ、博士後期課程への進学を決め、就職活動をする代わりに日本学術振興会特別研究員の書類提出を済ませて一区切りついた頃の話です。論文発表の済んだ研究成果があったので、シアトルにて開催された国際学会に参加していた時の出来事でした。

海外で開催される学会に参加したのは初めてで、ラフな格好で登壇して発表する先生方の姿や、やけに長くとられた昼休憩、脇に置いてあるお酒を手に取ってワインを飲みながら議論するポスター発表など、国内の学会とは全く違う雰囲気に圧倒されつつも、その新鮮さに感動しながら過ごしていました。もちろん講演内容も面白いものばかりで、いつも読んでいた教科書を書いている先生のグループが今まさに行っている研究について、最新の結果を聴けることもすごく刺激的でした。

会期も終わりに近づくとセッションごとの優秀発表者を表彰する場が設けられていて、そこで自分の研究と近しい分野で日本から同じく参加されていた若手の先生が見事受賞対象に選ばれていました。

授賞式の後にその先生を見かけたので「おめでとうございます。やっぱりすごいっすね」と話しかけたところ、ニヤっと口角を上げながらその方が発したのが「ちゃんと本気でやったの?」という言葉でした。文面だと「ちゃんと本気でやったの?笑」 と書きたくなるような、少し煽ってくる声色でした。今でもたまに頭の中で再生されます。

「もちろんです」と答えつつ、内心は「自分は今まで甘かったかもしれない。研究の世界で生きるということはこういうことだ」とそれまでの考え方について内省していました。

国内の学会だと、ポスターにせよ口頭発表にせよ、申し込み時点で学生が対象である賞に関しては「学生講演賞」と冠されていて、学生とそれ以外の研究者は分けて審査されることが多くありますが、この学会ではそういった枠組みは設けられず、全員が対等な審査対象でした。「先生たちと賞を競うのであれば、取れなかったとしても仕方ない。」そのようなつまらない考え方で自分を納得させようとしていた思いがどこかにあったことに気づかせてくれた一言でした。

日々真剣に積み重ねた研究結果と、それを真摯に伝えようとする姿勢が表彰されたのであるということ、そしてその点においては学生だからとか教員だからといったことは関係なく公平・対等に扱われて然るべしということに気づかされました。

これは学会発表での受賞に限った話ではなく、研究という行為全般において重要な心掛けであると感じたのと同時に、自分が今過ごしているのは厳しくも面白い世界だと再認識したことを覚えています。

今の解釈

実は自分の指導教官だった准教授も以前から「研究においては学生とも対等に議論がしたい。学生の側からもそういう気持ちで接してほしい」と度々伝えてくれていました。このように言ってくれることはありがたいと感じ、意識しながら過ごしているつもりでいたものの、どこかに外れていないバイアスがあったのかもしれません。

そのような中で「ちゃんと本気でやったの?」という言葉は、当時の僕には効きました。その方がどれだけ意図を持って言葉をかけてくれたのかはわかりませんし、おそらくこの数秒のやり取りについて覚えてすらいないのだろうと推測します。ですが、それほど自然に出てきた言葉にこそ、その方の根底にある心構えの一端が表れるものだと思います。理屈や心意気をそのまま言葉にして説明されるよりも、このようなポロっと出た一言の方が、多くの情報を持つこともあるのではないでしょうか。

同期や歳の近い先輩後輩に気軽に話しかけるように、気さくに、ふざけ半分(そしておそらく本気半分)で挑発するような雰囲気で伝えてくれたことで、「あなたを競争相手として見ていますよ」という主張をすんなり受け入れることができたのだと考えています。

博士後期課程に進み、それまでよりも高いレベルでの要求を多くされるようになり、さらにその後は仕事として社会や生活者と向き合いながら過ごすようになりました。これらのステップを踏む前に、個々人の肩書きや成熟レベルによらず、第一線で取り組む者としての姿勢について考えるきっかけになった、この言葉に出会えていてよかったと感じます。

その後の意識と、この記事を読んだ方へのメッセージ

在学時の研究生活、その後の社会人生活のどの場面でも「自分が取り組んでいることをもって他人と議論するときは真剣勝負、対等に敬意を払い合うこと」を意識するようになりました。

「自分は初学者だから」とか「まだ自分の肩書は○○だから」といった理由で遠慮したり言葉を飲み込んだりすることは減ったと思います。初学者なら初学者なりに真剣に考えたことを相手に伝えればいいですし、それでも勇気が出ないときは「目の前に置かれている事柄について考えた時間は自分が一番長いはずだ」と自身に言い聞かせています。

また、いわゆる「目上」とされる方と議論をする時のみでなく、後輩など自分よりも経験の浅い方と話す際にも同じことを気にかけるようになりました。相手が必要以上に委縮してしまっている時などは「その必要はない、対等に話し合いたい。むしろ自分の方がわかっていないから教えてくれないか」と敢えて言葉にして伝えるようにもしています。また、こういう意識で後輩と接していて特に感じることは、素晴らしい意見や視点、考察などは経験の浅深に関わらず誰からも出てくるということです。相手が遠慮なく意見を述べられるように企図することは、互いのためになることだと思います。これは視点を変えると、自分が後学者の立場である場合に「もしかしたら自分の意見が相手のためになるかもしれない」と遠慮せずにいられる理由にもなりました。

同じ研究者という立場として意見を交わすときは、相手が誰であれ真剣勝負。だからこそこの世界は面白いし、発展し続けるのかなと思っています。こうした面白さや考え方について理解を示してくれる方が一人でも増えてくれたら喜ばしいことだと思います。

終わりに

今回の記事は以上になります。修士2年、もしかしたら少し遅かったのかもしれませんが、自分が一研究者として過ごす上での心構えについて考えるきっかけになった出来事について振り返りながら書いてみました。読んでくださった方の何かの機会になりましたら幸いです。最後まで読んでくださってありがとうございました。

<筆者について>

みっつ(工学博士)。超分子化学、光化学に関わる研究で博士号取得後、国内メーカーに就職。基礎研究や商品/サービス開発、新規事業の立ち上げに従事。仕事以外の時間はSciKaleidoというチームにて「科学をエンタメ化したバーチャルコンテンツ」を開発中。2021年12月には、世界最大のバーチャル空間でのイベント「バーチャルマーケット2021」にて「光とは何か?」を表現した展示を行う。

SciKaleidoについて: https://sites.google.com/view/scikaleido

筆者について: https://twitter.com/Mittsujp

タイトルとURLをコピーしました