博士が持つコンピテンシーは「思考の粘り強さ」修士学生との違いとは?

博士の日常
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東北大学大学院理学研究科 西村君平氏 インタビュー

 コロナの影響で、業績悪化や不透明な経済状況による採用予定数の変更など、採用市場においても「数」より「質」を優先する企業が増えたのではないでしょうか。修士(博士課程前期課程)・博士(博士課程後期課程)は、そういった意味でも”優秀人材”としての需要の高まりをみせている一方で、彼らが身に付けた研究活動を、「どのように自社にマッチさせられるのか」や「博士人材を採用したもののうまく活躍機会を提供できていない」「修士と博士人材にはどのような違いがあるのか」など課題感も出ています。今回は、東北大学大学院理学研究科の西村氏に「博士人材の魅力」と共に、企業を飛躍させる「博士人材の適材適所」についてお話を伺いました。

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学部と修士、博士の「質」的違いとは?

 学部から修士になるというのは、例えるならば「メジロがブリになる」というような延長線上の関係性で、「少し立派になったね」という程度の認識です。学部卒と修士卒の経験値における違いは特になく、どちらもインプットを主としています。一方で、博士の場合には、「昨日までは魚として海を泳いでいたのに、今日からは陸で歩き出す」くらいの劇的な違いがあると考えています。というのも、博士課程後期に進学した学生には、「質の高い研究論文を書く」という非常に高いハードルが課されるからです。博士人材というのは、このハードルを見事に飛び越えたサバイバーであり、学部や修士とは人材としての質が大きく異なると考えています。

修士について「知る」

 修士期間は基本的に2年間あります。最初の1年間はまだまだ授業が中心です。研究に没頭できるのは2年生からです。したがって、修士で与えられる課題の半分は「座学」であり、座学が終了してから、本格的な研究活動が始まります。

また、理系の場合は共同研究が非常に盛んという事情もあって、修士の学生さんが取り組む研究は、既存の共同研究の一部を切り出す形の研究がほとんどです。文系の方には少しイメージしづらい部分かもしれませんが、理系の場合、修士論文までは自分で研究テーマを設定することよりも、チームの一員として目の前の研究に適切に取り組むことが重視されているように見受けられます。

 もちろん何の問題意識も持たずに漫然と手を動かしているだけではダメです。この点は、文系も理系も、修士も博士も関係ありません。たとえ指導教員に与えられた研究テーマであったとしても、整備されたマニュアルに従って実施するようでは研究が進みません。学生自身が創意工夫を持って取り組む必要があります。私の認識では、ほとんどの修士の学生さんは、与えられた研究を淡々とこなすのではなく、その研究に真摯に向き合う中でこれまでの授業で身につけてきた知識やスキルをより深く理解したり、自分なりのアイデアを見出したり、問題意識を深めたりしています。

修士課程で身につける能力・スキル

分野による違いも大きいとは思いますが、学生が書く卒論や修士の学生が書く修論は、基本的には研究の練習です。どちらも基本的には指導教員の手のひらの上といったところがあります。指導教員は、「この学生に◯◯という課題を与えれば、何ヶ月か後には△△という結果が出ているはずだ」ということまで見越して研究をさせているわけです。

 指導教員が学生に最低限期待することは、「予測した期待値通りに与えられた課題をこなすこと」です。そして、指導教員の願いは、そのプロセスの中から「こういう研究の展開があるのではないか」など、学生なりの問題意識を見出してほしいということです。課程の半ばあたりで研究の進捗報告会が開かれます。その際、多くの指導教員たちは「修士だから」という理由で質問を緩めることはなく、「どのような問題意識でこの研究をしているのか」と尋ねます。そこには「研究はやらされているだけではないぞ」という学生へのメッセージが暗に込められているのです。

 また、このような指導教員の思いは最終的な成果物である修士論文にも向けられます。修士となれば、それまでに身に着けてきた専門性の高い知識やスキルを実際に試してみるというフェーズがかなりのウェイトを占めますし、最終的な修士論文にもそれなりのクオリティが要求されます。そうなると修士論文の仕上げとして行われる成果報告会もかなりの熱を帯びたものになります。たまに「自分は就職するので」ということを言い訳にお茶を逃ごそうとする学生がいますが、教員はそんなこと一切気にせずに、学生がきちんと論文を書けているか厳しく評価します。

 こうしたプロセスを通して、修士の学生は、研究というプロジェクトの「触りの部分」を経験します。これにより修士の学生は与えられた課題を専門的知識や技能を活かして解決すること、課題に取り組む中で自分なりのアイデアや問題意識を持ったりすることができるようになるわけです。

博士について「知る」 

学部や修士が研究の練習だとすれば、博士は研究の本番です。もう指導教員の手のひらの上で踊る段階ではありません。自分の足で立ち、自分の意志で進む道を決めていきます。指導教員は、博士課程学生の伴走者、ペースメーカーのような役割です。

博士の学生に対する指導は、自動車学校の「路上教習」に似ている気がします。そのときの教官のようなものです。路上教習の際にはドライバーの横に教官がつきますよね。しかしその際に、教官から「アクセルやブレーキの踏み込み具合やタイミング、ハンドルを切る角度」などの指示を事細かにもらうことはありません。「ここに向かってください」と目的地を決めたら、後は自分でそこまでたどり着く必要があります。何か大きな問題が起こることが察知されたら、指導教員がブレーキを踏んだり、必要があれば積極的に指示を出されることもありますが、それまで教官は黙って見守ります。博士の学生に対する指導もこれに似ていると思います。まぁ博士の場合は目的地も自分で決める場合が多いのですが。

この「目的地も自分で決める」という点はかなり重要なポイントかもしれません。指導教員としては、博士の学生に対して「修士の頃に自分なりに問題意識を見出しているはずだ」という期待感を持っています。博士の学生には、ある程度は自分自身で研究のデザインをするよう求められます。これが非常に大変です。プロジェクトの立ち上げを担わされるわけですから。ゼロベースでデザインをする必要はないにしても、博士の学生はプロジェクトの設計段階にプラスアルファの貢献ができなくてはいけません。

働いた経験のある方であればわかると思いますが、仕事をする際に一番辛い段階は「自分が何をするべきなのかがわからない」という立ち上げの段階だと思います。何かしら計画ができてくれば、後は安定して計画に基づき、コツコツと課題に取り組んでいけばいいのです。その立ち上げに類する部分を博士は経験しています。これが修士と博士の課題の与えられ方、プロセスの大きな違いです。

博士課程で体験する「産みの苦しみ」

前述の研究プロジェクトの立ち上げは、頭の中で素晴らしい計画を練り上げるというたぐいのものではなく、様々な仮説を立ててそれを理論や実験、観測を通して検証し、またさらに新たな仮説を立てるといったたぐいのトライアンドエラーで進んでいきます。

計画ができてから何かをやるという話ではなく、小規模な計算やら実験やらをくりかえしていくわけです。この流れですぐに成果が出てどんどん進む人もいますが、大半はかなりの時間をかけて行ったり来たりしながら少しずつ進行していきます。そのプロセスは多大なる「産みの苦しみ」をもたらすのですが、それと同時にもっともやりがいを感じる時間でもあります。

 こうした試行錯誤の過程で、博士の学生は単なる仮説検証を行っているだけではありません。計算や実験、観測の結果の意味するところを多角的に検討し、自分たちが期待している学術的な意義や社会的なインパクトのある研究が実現できそうなのか、厳しく自問自答します。この過程は仮説検証という言葉だけでは言い表せないくらい複雑さをはらんだもので、す。名前はなんであれ、この試行錯誤の過程を通して「産みの苦しみ」を味わっているという点は、博士の大きな強みだと思います。

博士人材の強みとは

 博士人材の最大の強みは「思考の粘り強さ」にあるのかもしれません。これは個人的にかなり重要視しているポイントです。「思考の粘り強さ」とは、ただ単に我慢強いとか諦めないとかの精神論ではなく、自分の考えを自分で疑うといういわゆる「メタ認知」に近い意味合いです。これは非常に難しい行為だと思います。自分が正しいと信じる道をただひた走るのはある意味楽です。でも、この道で本当に正しいのかを常に問い直しながら一歩一歩ふこだしていくのは本当に大変です。その中で「思っていたのと違う」という厳しい事実を自分で自分に突きつけなくてはならないときもあるわけです。ここで自分を甘やかしたらそのときは楽ですけど、研究はそこから全く発展しなくなります。「よし、だったら次のアイデアをためそう」とここで新たな一歩を生み出すからこそ研究が進むわけだし、だからこそ博士の学生は成長していくわけです。自分で自分を疑う勇気や失敗にくじけずに次の一歩を踏み出すチャレンジ精神が「思考の粘り強さ」の本質だと言えるでしょう。このような能力は、科学の現場やビジネスの世界で極めて重要です。おそらくどんな世界であれ、現場で質の高い仕事ができる人はみなこの「思考の粘り強さ」を持っているような気がします。

 この「思考の粘り強さ」は、「ネガティブ・ケイパビリティ(不確実性のある状態の中に身を置き続けることができるという能力)」という言葉に当てはまります。私自身、この言葉を大学院の指導教員の一人から教わりました。「君はネガティブ・ケイパビリティが足りない!」という厳しい指導を受けたときのことですが(笑)。研究というのは、常にわからない事象に取り組んでいくため、ネガティブ・ケイパビリティというのはとても重要です。博士人材にネガティブ・ケイパビリティに長けた人が多いのは単なる偶然ではないと思われます。

「ネガティブ・ケイパビリティ」を身につけた博士人材の適材適所とは

 もし企業の方が、「新しい事業を立ち上げたいが、最近の若い子はすぐへこたれる」と考えているならば、体育会系に代表される精神的な我慢強さを身につけた人材ではなく、博士課程でネガティブ・ケイパビリティが鍛えられた人材を雇う方が100倍有益だと私は考えます。しかし、裏を返せば、既に確立されたメーカーの生産ラインのようなところに博士を配置すると、求められていない検証活動をしたり、問題定義をしてくるなどのミスマッチが起きる可能性もあるため、博士人材は不確実性の渦の中に飛び込ませる方が有益と言えます。

 この話を裏付ける典型的な例があります。今から7〜8年前にブライダルジュエリーなどを取り扱う会社が、本学の物理の博士学生を2人採用したことがありました。どうも聞くところによると、その会社は従来の宝石販売のみならず、新たな事業の立ち上げや既存の流通管理の見直しといった新プロジェクトを担う人材を探しておられたようです。そこで科学的思考に長け、しかも博士課程後期で研究の現場で揉まれたタフな人材として、博士の学生の雇用を決定されたようです。このようなケースでは、大学院の物理学研究でやってきたことが、そのまま就職先で活かせるということはほぼありません。しかし、のちにその企業のサイトに掲載されたインタビュー記事のなかで、その学生は「博士課程での試行錯誤の経験が、事業立ち上げにとても重要だった」と回答してくれていました。この言葉は非常に嬉しかったですし、大学院での学びや成長の本質をついていると思います。まさに、ネガティブ・ケイパビリティが、企業の世界でも極めて有益な能力であることを示したケースだと考えています。

博士に向いている人材「スマートではなく、タフであれ」

 ある先生は学生に「『スマートではなく、タフであれ』とよく言うんだよ」と教えてくれたことがあります。このメッセージはとても素晴らしいと思いました。よくよく考えてみると、大学生、特に研究大学に進学するような学生はスマートな学生が多いです。なので、スマートさはもはや「デフォルト」で、そこではあまり差がつかないのです。まぁ中にはスマートさが振り切れているような天才もいますが、それは例外です。実際にはスマートなだけでは乗り越えられないような難題にぶつかったときにどう考え、どう動くかが重要です。ここではスマートさではなく、タフさが試されるわけです。

 どんなにIQが高かろうと物知りだろうと、粘り強く自分を疑い続けるプロセスに身をおけない人は、博士課程には進まない方がいいと思います。逆を言えば、学力はそこそこでも、なにかの特定の分野やテーマ、現象に本気で興味があって、そのことについてとことん突き詰めていきたいと心底感じている人は博士に進学するとすごく伸びます。実際、うちの研究科には難しい計算にずーっと取り組んでいる学生、非常に込み入った実験に昼夜を忘れて没頭している学生がたくさんいます。そういう学生は教員が「たまには休みなさい」と声をかけないといけないレベルで研究に打ち込んでいます。こういった学生にちょっと頭が良いだけの学生が勝てるわけがないのです。

 とある学生から教えてもらったのですが、実験系の研究室には、大学受験に失敗した経験を持つ博士の学生も少なくないようです。そういった学生に共通するのは、研究分野に対する興味関心の強さです。これは高校の偏差値や大学の偏差値では測れません。受験に失敗したときはショックも受けたと思います。でもそこで腐らずにきちんと勉強を進め、大学院に進学して本当にやりたかった研究に取り組む。その先には素晴らしいキャリアが待っていると思います。

実は先日、そういった学生の一人が東北大学の教員に採用されていました。たまたま私が就職の相談にのっていた学生でした。彼は民間企業のキャリアも考えてはいたようですが、結局アカデミアに進んだことになります。彼からしてみたら「気がついたら東北大の先生になっちゃってました」という感じかもしれませんね。彼のこれまでの努力を垣間見ていた私からすれば、彼が良い研究者に、そして良い教育者になることは間違いないと言えます。民間企業に進んでいても、優れた研究開発者になっていたでしょうね。

大学院で挫折を味わっている学生に相談されることは多いです。でも、そういった学生にこそ「君は君のままでいけ」とアドバイスします。「君はいま失敗したと思っているかもしれないけど、むしろいま成長の時を迎えただけだよ。挫折や紆余曲折があるからこそ、人は成長する。いまの君の経験を企業の人に話したら、『こんな人を待ってた』と言ってくれるはず。頭でっかちではない、本当にタフな人材として重宝されるよ」といったことを伝えるようにしています。

博士人材は「知の創造のプロ」

 今までのお話でも感じてもらえると思いますが、博士の学生は、学生と言いつつ、その実態は若手の研究者に近いです。博士の学生を「若手のパートナー」とみなしている大学教員は結構多いと思います。実際、指導教員と一緒に考え、論文を書くわけですし、その中で教員が思ってもみなかった提案をしてくれることはよくあるようです。もちろん、博士人材に助けが必要なのも事実ですが、それは若手の社員にも同じことがいえるのではないでしょうか。上司が新人をサポートしながら成長を促すように、教員は博士学生を指導しています。新人に対して手取り足取り何もかも教えていては新人はずっと新人のまま。ある程度信じる部分というのも少しずつ出していかなければならない。このあたりの感覚も同じところがあると思います。

 国にもよりますが、かなり多くの国で博士には給料が支払われています。それは博士が「仕事」だという認識を持たれているということの何よりの証拠です。残念ながら、日本では博士に給与は払われていませんが、働きぶりでいえば「パートナー」に等しいと言えます。この点、日本政府には猛省していただきたいところではありますが、まぁ難しいでしょう。ただ、企業の方々には「博士は研究のプロフェッショナルだ」という点に気づいてほしいと心から願っています。

研究のプロフェッショナルだということは、知の創造のプロフェッショナルだとも言い換えられると思います。博士人材は研究開発のスタッフとして有益であることはもちろん、社内の誰にも正解がわからないような新しい事業に挑戦するときにも、頼れる人材です。この点は分野とは関係ありません。文系の博士人材にも当てはまるでしょう。

私が学生の時に、「自分の知らないことを知るのは『勉強』。『勉強』は自分に対してだけ意味がある。この世の誰も知らないことを知る。これが『研究』。研究は皆にとって意味のある学びである。」といったことを教わったことがあります。要するに、大事なことは「知の創造」の基準は自分にあるのではなく、人類にあるという点です。この人類という壮大さが、研究の面白さでもあり、難しさでもあるわけです。博士人材はこの難題に5年位の月日をかけて必死で向き合ってきたわけですから、新事業の立ち上げをする会社の中で、誰も正解のわからないような時に博士が1人か2人チームにいるとずいぶん活躍すると思います。

採用担当者が知るべき「博士人材の2つの関心軸」

このような博士の分野横断的な強みを踏まえて、企業の採用担当者が知るべき博士人材の2つの関心軸について説明したいです。

1つ目の軸は「コンテンツ」です。例えば、「◯◯という物理現象に興味がある」、「◯◯という生物の遺伝子に興味がある」といった感じです。2つ目の軸は「プロセス」です。「データ分析をして、結果を眺めて、あれこれ考えることが楽しい」、「プログラムを組んで結果が出ることが喜び」など、「プロセス」に喜びを覚える学生はやまほどいます。というか、この2つの関心軸は研究を推進させるための両輪のようなものなので、たぶんすべての博士学生はこの2つの関心軸を持っていると思います。

 企業の方から「博士は自分の専門領域のことにしか興味がないから使えない」ということを言われることがあります。しかし、私にしてみれば「あなたが博士の興味を引き出せていないから話が盛り上がらないだけでしょ」と言いたい気分です。博士人材とコミュニケーションするときにはコンテンツの部分だけではなくて、プロセスの部分にも光を当てていただきたいです。博士は「研究」という「仕事」に本気で従事しています。豊富な経験、豊富なエピソードを持っています。適切な質問を投げかければ、「この学生がやっている研究はうちの会社でやっている研究と内容は違うけれど、プロセスは応用できるぞ。」というところがどんどん掘り起こせるはずです。企業の方には、是非そのような観点から、博士の隠れた魅力を掘り起こしていただきたいと思っています。

文責:株式会社アカリク 執行役員 川口博久

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